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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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今日、愛車を迎えにいきます。「これ以上、車検を通すのは無理です。良い思い出を作ってください」と言われ、いろんな感情が渦巻いてます。

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996年4月26日に、
私の元にやってきたプローブ君は、今年19歳になりました。

なぬ??
人間なら、来年は成人式じゃんか!!

大きくなったもんだ。

1996年4月は、私が広告会社に入社して2年目に入った時です。
プローブ君はいわば、私の社会人歴をずっと見ていてくれた相棒なんです。

その相棒が、
「次の車検を通すのは無理。最後に良い思い出を作ってください」
と、ディーラーの担当者から言われてしまい、
それ以来、相当落ち込んでいます。。

ーーーーー

プローブは、自分で買った初めての車です。

一目惚れでした。

犬の散歩中、
家の近所で路駐しているプローブをたまたま見かけて
ハッとして、犬と一緒にその車を何周もして、前から横から後ろから、外観を360°見まくってました。

あれはもう、
20年以上も前なのか。。
そんな昔の感覚ではないんだけどな。

私、
ガキの頃に「スーパーカークイズ」にはまっていた世代なんです。
同世代なら、「うんうん。わかるわかる」という感覚だと思いますが、
うちの学生は「はぁ?なんすかそれ?」って感じでしょうね。
「スーパーカー消しゴム」とか、さっぱり知らんでしょうね。あはは。

もうとにかく、スーパーカーライトが好きで
自分のチャリンコにも意味なくスーパーカーライトを別途装着してました。

スーパーカーライトというのはですね、
スイッチ一つで、ライトが開いたり閉まったりするライトです。
正式名称は、リトラクタブル・ライト。でしたっけ??
たしか、いまはスーパーカーライトの車って、作れないんでしたよね?
事故率が高いから。と聞いたことがありますがほんとなのかな??
「スーパーカーライトが事故を誘発する」のではなくて、
「事故を起こしかねない飛ばす奴がスーパーカーライトを好んでいた」
というのが正確なんじゃないのかなあなんて思ったりしてますけど。

とにかくですね、
スーパーカーライト好きの私は、
プローブに一目惚れしてしまったんです。
「乗るんなら、これだ!これしかない!」という感じでした。

広告会社に入社したその年は、当時アメリカに短期留学していた姉夫婦からスカイラインを預かっていたため、姉夫婦に返すまではそれに乗ってました。

その年度末、帰国した姉夫婦にスカイラインを返却。
ついに、自分の車を買う時が来ました。

入社2年目。
まったく迷うことなく、初めて買う車をプローブに決めました。

あれから19年。
まさか、入社2年目に買った車を今も乗ることになるとはさすがに思っていませんでした。
愛着って、凄いですね。

この車と一緒に、ほんと、いろんな所に行きました。
いろいろ思い出します。

プローブがやってきてしばらくは、どこへ行くにも一緒でした。会社にも車で行ってましたしね。コインパーキング代がタイヘンでした。思い出すことといえば、たとえば・・・

前職で腕時計を担当時代、西麻布のイエローというクラブでブランド披露イベントを開催したのですが、イベント終了後は終電がないのは明らかだったのでプローブで西麻布へ。明け方5時ころにお開きになったのですが、気分がハイで帰るのがもったいなくて、友だちと「温泉に行こう!」ということになり、西麻布でそのままプローブで長野に向かったことがありました。クラブに行く格好のまま。あはは。

長野といえば、諏訪の花火。最後まで呑気に見ているとクルマ組に何が起こるかを知らずに、最後のナイアガラまで鑑賞してしまい、大大大渋滞。一度は駐車場を出発したものの、出た直後からまったく動かず。降参して再び駐車場に戻り、やむを得ず、ハッチバックの荷台を寝床にして朝を迎えましたっけ。「ハッチバックで意外と大きいんだなあ」ということを実感しましたっけ。えへへ。

長野で思い出すのはもう一つ。紅葉を見に蓼科に行った時、まだ10月だというのに大門峠付近はなぜか降雪してて、路肩が崖になっている長い下り坂でスリップしてしまい、死にそうになりました。ハンドルが効かない状態で、左手に崖を見ながら長い下り坂をズルズルズルと滑り落ちたあの経験は、声が出なくなるほど恐ろしかった。ほんとうに怖かった。。。思い出しただけで冷や汗が出てきます。

怖い思い出といえば、
数年前に、首都高のレインボーブリッジを通過後のコーナリングで、なんの前兆もなく突然に車がエンストし、それまでの楽々パワステが急に石のように重くなり、危うくカーブに突っ込みそうになりました。あれも死ぬかと思った。。どんな風に止まったのかまったく記憶がありませんし、走行車線のカーブど真ん中での非常停止だったため、直後に後続の追突の恐れもあり、カーブを脱出までの十数分は恐怖しかありませんでした。

冒頭の回想に戻りますと・・・ 
クラブに遊びに行って朝になり、そのまま帰りゃいいのに、なぜかそのまま無計画に遠出し始めた回数って、なんか異常に多かったような気がします。そのほとんどすべてが長野方面でした。

あれもたしかクラブに行った翌朝からの長野だったと思いますが
美ヶ原高原から松本方面に抜ける途中、
キレイな鳥の声が森の中で聞こえたので、クルマを止めて、しばし鳥の声を鑑賞。
「さ、出発しよ」 と思ってキーを回しても、クルマはウンともスンとも言わず。
JAFに電話しても、ここがどこなのかわからない(泣)
焦り∞。 1時間くらいが経過。
まあ、最悪でも一両日中に地元の車が1台くらいは通過してくれるだろう。と開き直って落ち着きを取り戻して、ふと、ギアの表示を見たら、なんとギアがDレンジに入っていた。エンジンがかからなかったのは、ただそれだけの理由だったことがわかったとき、安堵感というより、脱力感でしたね。アホか。まったく。

ヘンな記憶ばかり書いてしまいましたが、
もちろん、普通に楽しいドライブのほうが圧倒的に多いです。
「プローブと何があったっけ?」と思い返すと、すぐに再生されるのは、
おっかない経験とか、とんでもない強烈な経験ばっかりですけど (笑)

ほんと、たくさん思い出があります。
いろいろ思い出します。
すべてが懐かしいです。

ーーーーー

前回の車検も、すんなりいかず、すったもんだしたのですが、
今回は、さらにすったもんだでした。
やはり、あちこち具合が悪くて、しかも、もう部品が廃番になっているものも多く、
替えようにも替えられない箇所が、次回はついに車検必須項目に引っかかる可能性が極めて高いんだそうです。もはや、術がないらしく、ディーラーのご担当者から飛び出した言葉は、、

「おそらく、これ以上、車検を通すのは無理です。
この2年が最後になると思います。良い思い出を作ってください」

という、お情け一切なし。
余命宣告されたってこと。 ですよね?


いま、プローブ君を迎えにいくために整備工場に向かってます。
自分の車を取りに行くのに、こんなに複雑な心境になるのは、初めてです。泣泣


<追記>
久しぶりにプローブ君と再会しました。
外見上はまだまだ大丈夫なんだけどな。。

イメージ 1


<追記2>
今日は整備工場を出た後、
首都高湾岸を走り抜けてきました。
まだまだ元気でした。よかった。。

ほんとうにこの2年間が最後なの??
まだまだイケると思うんだけどな。



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