例年は、
6月最初の月曜日にCTスキャン、その翌週に診断。
という段取りなのですが
今年は、担当の先生のご都合でリスケになり、
例年より2か月遅れの8月末日になりました。
今年の診察は、明日です。
・・・。 たいへん情けないのですが、毎年、診断日の数日前から恐怖心が大きくなります。
怖さのあまり、言葉が出てこなくなります。口数が少なくなります。
今年の場合は、
先日28日に講演があり、そのことで頭がいっぱいだったので気が紛れていたのですが
今日は、、、、正直、心細いです。
昨年の診断は、非常に良好でした。
画像では、それまで切れていた左脳を流れる動脈が、繋がっていたんです。
普通はそれを「治った」というんじゃないかなと思うのですが
先生の診断は、「引き続き、経過観察」でした。
今年の結果も良好でも、
それでも引き続き、経過観察なのかな。。どうなのかな。
2010年11月2日、
あのとき味わった絶望感は忘れないし、このさきも忘れることはないと思います。
失望は何度も経験したことがありますが、あれほどの絶望は、あれが最初で最後にしたい。
あの経験が
ビジョン(究極的なありたい姿)の存在をなによりも大事にするきっかけになりました。
2009年に出版された初の著書でも、最終章を「ビジョン」と題してその重要性を書いています。
すでにビジョンの重要性は認識していたつもりです。
ただ、あのときの「ビジョンは大事だよね」という言い分は、
「いろいろ大事なことがあるなか、ビジョンも大事だよね」という感じだったと思います。
それが、
なによりも大事にすべき「絶対的なもの」になりました。
そして、
4年の月日を経て産声を上げたのが
理想追求型QCストーリーです。
あの絶望の経験は
悪いことばかりではなかったと言えるのかもしれません。
でもそれは
昨年の診断で状態が好転したことがわかったから言えることなのであって、
しかも、完治したといえることでもないようなので「もう大丈夫!」といえることでもなく、
規模はわからないけど頭の中に爆弾を抱えている感覚であることには変わりません。
『健康』
今日、ある方からいただいたメッセージは
心細い状態の中で救われました。
その一方で、健康の話では、焦る気持ちが非常に高まりました。
どう考えても
生活リズムが規則正しくない。
「自殺行為に近い」と言えるのかもしれない。
あの絶望の経験は、
「一日でも長く生きる」という欲求を高めましたが、同時に
「一日でも早くビジョンに達したい」という欲求も高め、
結局、
後者が優先されていると思う。
両立できていない。もっと言うと、両立の仕方がわからない。
情けないのですが、両立の仕方がいまの私にはわからないんです。
<ちょっと考えます。このあと、書き足します。>