最後は心臓が口から出てきそうでしたが、「信じよう」「信じよう」と自分に言い聞かせて観てました。
そうなんです!「期待と信頼の違い」を知ってから、なんかですね、日常的な出来事にも意識が変わろうとしているのかもしれません。まだ、数日なのでなんともいえませんけど。あはは。
期待というのは、期待する側の勝手なエゴ。信頼というのは、相手の能力を理解した上での、相手への愛。でしょ?期待には「期待が裏切られる」という言い方があるけど、信頼にはそもそも「裏切られる/裏切られない」というものがない。
開幕戦のサヨナラ負けはなにがなんだかわからない心境になりましたが、2戦目は負けは負けでもいつもと違う心境でした。そして、今日の第3戦。開幕戦でサヨナラ負けしたコーディエが、第3戦の最終回にマウンドへ。先頭のメヒアに初球のストレートを右中間に運ばれ、いかなりノーアウト2塁。球場全体が異様な雰囲気になりました。次打者は4番おかわり。カウントが、3ボール、1ストライクになった時、自分の変化に気づきました。
その変化は「福良監督がコーディエの様子を見て、酒井投手コーチと話し合って決めて送り出したのだから、何が起きようと受け入れよう」というものでした。
おかわり、空振り三振。浅村のセンター前タイムリーヒットで1点差(Bs 5-4 L)。坂田がレスト前ヒットで1死1、2塁。鬼崎、三振。上本がフォアボールで2死満塁。
次打者・外崎に対してコーディエは全球ストレート。最後は空振り三振。ものすごい試合でした。見応えあったけど、ヘトヘトに疲れました。
今日の試合前は、異常な緊張状態でした。この2試合は昨年とは明らかに違う内容で、強くなることを予感させてくれるものでしたが、負けは負け。開幕戦のサヨナラ負けに、2戦目の逆転負け。しかも、昨日は内野陣が全員失策する始末。もし今日も負けて3連敗したら、彼らは自信を失ってしまう。そんなことあってはならない!と、一人で勝手に猛烈な緊張感に襲われていました。
そんななか、上記の最終回。心臓がバクバクするのは無理ないです。
ーーーーー
ずいぶん前に、当時、仕事でご一緒していた企業の方から、「プロ野球なんて自分が結果に関与できるものでもなく、観ているだけ。それの何が面白いのか?」と言われたことがあります (← 端的に書きすぎましたが、実際はもっと紳士的で丁寧な言い方です。念のため。
あのときはうまく答えられなかったのですが、いまはちゃんと答えることができます。
自分の力が結果に直接関与できないからこその、プロ野球の魅力。先日の3連休にドカドカ書いた文脈に即して言うと、私にとってプロ野球の最大の魅力は「相手を信頼する力を養う」ことができること。自分の力を直接関与させようがないので、信頼することしかできない。
なんて偉そうなこと言ってますが、正直、以前は「信頼」ではなく、「期待」でした。だから、負けるとブリブリ怒っていた。
エゴに基づく「期待」が鳴りを潜めるようになったきっかけは、キャンプに足を運ぶようになったことが大きいと思う。それまでは、公式戦しか見ていませんでした。見えるのは、成果だけ。だから、成績が悪い選手には「なにやってんだ!」しかありませんでした。
キャンプを見るようになってから、各選手の成長の様子を自分の目で見るようになりました。たとえば、、マシン打撃には強い打球を飛ばすけど、生身の人間が相手だとタイミングを外されて上体がブレて走り打ちになっている、など自分の目でみてます。T-岡田が大好きなのは最後の一人がいなくなるまで丁寧にサインしてくれることだけでなく、彼はほんとうに練習熱心で、キャンプではいつも日が暮れるまでがんばっているから。
そういう様子を見ることは、「信頼」の「相手の力を知った上で」という要件を満たします。だから、公式戦でのプレーを信頼することができるのではないだろうか。そんな気がします。昨日の逆転負けは残念でなりませんでした。が、キャンプから赤間を見ていた私は、4回に赤間投入が間違っていたとは思いません。キャンプそしてオープン戦の赤間を見れば、首脳陣が投入したくなるのは至極当然だと思う。結果的に試合の流れを自ら手放すことになりましたが、それは仕方なかったと思う。
オリックスバファローズを信頼しているから、だから、今日は勝ててほんとうによかった。すごく嬉しいです。
ーーーーー
オリックスバファローズに対してできるのだから、仕事など公私を問わず、できるはず。
問題は、自分の力がパフォーマンス結果に直接関与する事案になると、仲間に対して信頼よりも、期待のほうが優勢になる場合がままあること。
その最大の原因の一つは、余裕の無さ。余裕がなくなると、待てなくなる。「期限が設定されると、とたんに力を出せなくなる」という非常に悪いクセもこれと関係があるのだと思う。あの悲しい出来事は、無茶な計画が招いたと言えるのではないだろうか。
どんな局面であろうと、いかに余裕を作るか。これが当面の最大の課題なんじゃなかろうか。そんな気がします。
そうなんです!「期待と信頼の違い」を知ってから、なんかですね、日常的な出来事にも意識が変わろうとしているのかもしれません。まだ、数日なのでなんともいえませんけど。あはは。
期待というのは、期待する側の勝手なエゴ。信頼というのは、相手の能力を理解した上での、相手への愛。でしょ?期待には「期待が裏切られる」という言い方があるけど、信頼にはそもそも「裏切られる/裏切られない」というものがない。
開幕戦のサヨナラ負けはなにがなんだかわからない心境になりましたが、2戦目は負けは負けでもいつもと違う心境でした。そして、今日の第3戦。開幕戦でサヨナラ負けしたコーディエが、第3戦の最終回にマウンドへ。先頭のメヒアに初球のストレートを右中間に運ばれ、いかなりノーアウト2塁。球場全体が異様な雰囲気になりました。次打者は4番おかわり。カウントが、3ボール、1ストライクになった時、自分の変化に気づきました。
その変化は「福良監督がコーディエの様子を見て、酒井投手コーチと話し合って決めて送り出したのだから、何が起きようと受け入れよう」というものでした。
おかわり、空振り三振。浅村のセンター前タイムリーヒットで1点差(Bs 5-4 L)。坂田がレスト前ヒットで1死1、2塁。鬼崎、三振。上本がフォアボールで2死満塁。
次打者・外崎に対してコーディエは全球ストレート。最後は空振り三振。ものすごい試合でした。見応えあったけど、ヘトヘトに疲れました。
今日の試合前は、異常な緊張状態でした。この2試合は昨年とは明らかに違う内容で、強くなることを予感させてくれるものでしたが、負けは負け。開幕戦のサヨナラ負けに、2戦目の逆転負け。しかも、昨日は内野陣が全員失策する始末。もし今日も負けて3連敗したら、彼らは自信を失ってしまう。そんなことあってはならない!と、一人で勝手に猛烈な緊張感に襲われていました。
そんななか、上記の最終回。心臓がバクバクするのは無理ないです。
ーーーーー
ずいぶん前に、当時、仕事でご一緒していた企業の方から、「プロ野球なんて自分が結果に関与できるものでもなく、観ているだけ。それの何が面白いのか?」と言われたことがあります (← 端的に書きすぎましたが、実際はもっと紳士的で丁寧な言い方です。念のため。
あのときはうまく答えられなかったのですが、いまはちゃんと答えることができます。
自分の力が結果に直接関与できないからこその、プロ野球の魅力。先日の3連休にドカドカ書いた文脈に即して言うと、私にとってプロ野球の最大の魅力は「相手を信頼する力を養う」ことができること。自分の力を直接関与させようがないので、信頼することしかできない。
なんて偉そうなこと言ってますが、正直、以前は「信頼」ではなく、「期待」でした。だから、負けるとブリブリ怒っていた。
エゴに基づく「期待」が鳴りを潜めるようになったきっかけは、キャンプに足を運ぶようになったことが大きいと思う。それまでは、公式戦しか見ていませんでした。見えるのは、成果だけ。だから、成績が悪い選手には「なにやってんだ!」しかありませんでした。
キャンプを見るようになってから、各選手の成長の様子を自分の目で見るようになりました。たとえば、、マシン打撃には強い打球を飛ばすけど、生身の人間が相手だとタイミングを外されて上体がブレて走り打ちになっている、など自分の目でみてます。T-岡田が大好きなのは最後の一人がいなくなるまで丁寧にサインしてくれることだけでなく、彼はほんとうに練習熱心で、キャンプではいつも日が暮れるまでがんばっているから。
そういう様子を見ることは、「信頼」の「相手の力を知った上で」という要件を満たします。だから、公式戦でのプレーを信頼することができるのではないだろうか。そんな気がします。昨日の逆転負けは残念でなりませんでした。が、キャンプから赤間を見ていた私は、4回に赤間投入が間違っていたとは思いません。キャンプそしてオープン戦の赤間を見れば、首脳陣が投入したくなるのは至極当然だと思う。結果的に試合の流れを自ら手放すことになりましたが、それは仕方なかったと思う。
オリックスバファローズを信頼しているから、だから、今日は勝ててほんとうによかった。すごく嬉しいです。
ーーーーー
オリックスバファローズに対してできるのだから、仕事など公私を問わず、できるはず。
問題は、自分の力がパフォーマンス結果に直接関与する事案になると、仲間に対して信頼よりも、期待のほうが優勢になる場合がままあること。
その最大の原因の一つは、余裕の無さ。余裕がなくなると、待てなくなる。「期限が設定されると、とたんに力を出せなくなる」という非常に悪いクセもこれと関係があるのだと思う。あの悲しい出来事は、無茶な計画が招いたと言えるのではないだろうか。
どんな局面であろうと、いかに余裕を作るか。これが当面の最大の課題なんじゃなかろうか。そんな気がします。