Quantcast
Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3957

新テーマが誕生した一方で。言い訳のしようがないです。

$
0
0
「2016年は、派手なスタート!」 2016/1/5(火) 午後 7:27
日増しにますます緊張感が増してきてます。今年は、今週金曜日が外向き活動スタートなのですが、なんと3発連続なんです。8日(金)がK社。提案に伺います。もし実現すれば、なんと10年ぶりにご一緒することになります。どんな形でもいいから恩返ししたいです。9日(土)から2日間は、Z社。5年ぶりのスペシャルワークセッション!5年前と同一メンバー、しかも全員勢ぞろい!すごい!!さらに休む間もなく、11日(月・祝)から2日間は、今年10年目を迎えるKo社。今年は10年目に相応しいネクストステージを模索する大事な一年になること間違いなし。ということで、10年ぶりを目指す企業を皮切りに、5年ぶりの企業と、10年目を迎える企業の、たった5日間でなんと3社立て続けの激しいスタートを切ります。すんばらしい!!昨年は相当押さえつけられたこともあり、鬱憤はらす大爆発というかなんというか、好き勝手指数∞なスタートですね。まさに、「意思ある自由(independent)」だーっ!!ダハハハハ\(^o^)/いまはまさに「嵐の前の静けさ」という感じ。ブルッと武者震い。なんだかとってもゾクゾクします。

「期待されなくなったら、終わり。」 2016/1/6(水) 午前 0:17
  日増しに緊張感は高まっています。当日にお伝えしたいメッセージは既に決まっています。昨日から、どう表現すればもっと伝わるだろうかと試行錯誤を繰り返しています。お星様を掴みたい一心なんです。我が国製造業が進むべき、これからの時代に相応しい道は何か。その答えをどうしても出したい。
  それは、到底ひとりではできません。同じ目的意識を持つ企業と一緒に取り組んで初めてできること。だから、どうしても、そのような企業から「こいつを試してみるか」と思っていただく必要があるのです。自分に対して相手が抱く期待をどうしても喚起したいんです。期待される人になりたい。私に期待してほしい。期待される存在にならなければ、機会は巡ってこない。口を開けていれば、チャンスが自動的に入ってくるなんてことはありえない。もうすこしだけ時間が残されています。最後はギリギリの攻防になると思いますが、時間のあるかぎりベストを尽くしたいと思います。結果がすべてです。「自分なりにはがんばったんだけど」は絶対に言いたくない。「もっとこうすればよかった」というセリフも自分に対して絶対許さない。期待されなくなったら、終わり。期待されないかぎり、機会はない。期待され続けないと、途中で終わってしまう。短期的に、一時的に、瞬間的に期待を喚起することはできても、期待され続けることはシビアです。それを分かっているつもり。だから、気を緩めません。いま、結構思い詰めているかもしれません。

「不安はないが、恐怖はある。」 2016/1/6(水) 午前 1:34
  いつ、誰に教わったか忘れてしまったのですが、ずいぶん前に「不安と恐怖の違い」を伺ったことがあります。不安というのは先行きで生じる事柄が分からないことに抱く感情であるのに対し、恐怖というのは先行きで生じる事柄が想定されていて、その発生可能性の高さに対して抱く感情とのこと。先行きの不具合を想定できているか否かの違い。といったところでしょうか。私の場合、不安という感情はほとんどないんです。単純だからなのかな?汗汗。どうしても取りたいものがあるので、迷いはありません。 ただ、恐怖はあります。正直、やはり怖いです。

「ドキドキが止まらない」 2016/1/8(金) 午後 1:15
ど、どうしよう、、心臓がバクバクして、どうにもなりません。いったいどうしちゃったんじゃ!おちつけ。おちつけ。さあ、深呼吸。

「ただいま意気消沈中。くぅぅぅ、、ぐやじいぃぃぃ」 2016/1/8(金) 午後 5:23
体が硬直してしまっていて、いまなお、訪問先の本社1階で動けずにいます。このままここにいるわけにもいかないですから、とにかく外に出ます。

「今日はほんとに思いがけぬ展開でした。とても有意義な一日でした。本当にありがとうございました!」 2016/1/9(土) 午前 5:11
  今日はほんとに思いがけない展開になりました。当初からの予定は17時までで、そこまでは予定どおりでした。ただし、予定どおりは「時間」だけ。17時までの予定で、実際17時に終わりましたが、内容は当初のイメージとはかけ離れた散々なものでした。大変お忙しい執行役員に2時間もいただいておきながら、あの終わり方は、、、本当に申し訳ございませんという気持ちで凹みまくってました。そして、「いま凹んでて、訪問先の本社1階受付で動けなくなってます」という内容のブログを投稿しました。
  そのあと、しばらくして何が起きたかといいますと、、、なんと、そのブログをご覧になった同社の方(昔、仕事をご一緒させていただいた方)が心配して1階受付まで様子を見に来てくださったんです。もお、ほんっとにビックリしました。心配して見に来てくださったことにもビックリしましたが、その方が私のブログをご覧になっていたことをそのとき初めて知ったことにもビックリで、ビックリ×ビックリです(←ビックリ二乗)。しばらくの間、今日は何をお話ししたのか聞いていただいているうちに、実際のシートを是非ご覧いただきたい気持ちが強くなり、恐る恐るお願いしてみましたら、いいですよ!ということになり、さらにはそのしばらく後に、「もう一人、別の事業所から話を聞きにこちらに向かってます」と伺い、さらにビックリ。まもなくして、その方がご到着になり、そこから三人で会議室に入り、私は再プレゼン。その後、フリーディスカッションになり、その後、三人で中華に行ってそこでもフリーディスカッションの続きになり、気がつけば24時でした。なんと終電でした。
  なんというか、その、、、まるでジェットコースターに乗っていたかのような一日でした。ものすごかったです。語彙力がなくてすみません(汗) 17時までの2時間については今でも反省しきりなのですが、そのあとのお二人とのフリーディスカッションは次に向けた仕切り直しの糸口をいただくあまりに貴重な機会になりました。本当にありがとうございます。とっても印象的な一日でございました。

「ぶつかり稽古やね」 2016/1/9(土) 午前 0:17
んー。。立て直す!このままでは気がすまない!凹んでる場合じゃない!
その後、思いがけぬ展開になりました。ほんとうにありがとうございました!

「ももクロ的な一生懸命感。ひた向きさ。そう来るか!?と驚かせる「なにをやってくるかわからない」感。」 2016/1/9(土) 午前 1:58
  そんな姿勢がかつての自分にはあった。いまもあるか?いつの間にか、なにか勘違いをして、高慢きちになってはいないか?胸に手を当てて、よくよく考えなければならない。
  今日、ももクロの人気はその直向きな一生懸命さにあるという話や、某リゾートがかつての一生懸命さを感じさせなくなって残念だという話や、ジョブズ時代のアップルは何をしてくるかわからず、そこがまたアップルの魅力だったという話で「そうだ!そうだ!」と盛り上がった時、ふと、自分自身はどうなんだ?という疑問がわきました。かつて、K1社が若輩者の私にさまざまな機会を与えてくださったのは、当時の私に「一生懸命感」と「何をしてくるかわからない感」があったから、だから、「何が飛び出すか楽しみにしてみよう」とあんな機会やこんな機会をくださったのではないか?いまの私に「何が飛び出すかわからない感」はあるか?

「「部下の育成」と「顧客の育成」に共通性があるとは思ってもみませんでした」 2016/1/9(土) 午前 0:30
  まさかまさかの「部下の育成」と「顧客の育成」。別物と思っていた両者が、実は密接に関係してかもしれないなんて、これっぽっちも思いませんでした。
(1) 本人が潜在的に思っていて
(2) かつ、できそう。
  昔のようなストイックさを必要とせずに、いかに導くか?  なるほど!明日に繋がる非常にありがたい視点をいただきました。今日は大変有意義でした。ありがとうございます!
<追記> んー。という今日の話をしてて、ふと頭をよぎったことは、、、今日の話をもっと早くに知って、そして実行に移していたら、私自身が違った展開になっていたんだろうなと思いました。そんなタラレバを言ってもしかたないんですけど。

「今日はほんとに思いがけぬ展開でした。とても有意義な一日でした。本当にありがとうございました!」 2016/1/9(土) 午前 5:11
  今日はほんとに思いがけない展開になり、次に向けた仕切り直しの糸口をいただくあまりに貴重な機会になりました。本当にありがとうございます。とっても印象的な一日でございました。
  S-Dロジックの視点は堅持します。doニーズへの着目も変えません。ただし、達成ストーリーとして描く対象からdoニーズを外して、別の相応しい何かに替えます。いまはまだ、それが何なのかはっきり掴めておらず、仮に「ゴール」としか言えないのですが、向こうしばらくの間は「部下を育てる」関連の文献を読み漁ってしかるべき概念を当て直してみたいと思っています。もう一度、チャレンジします!というか、何度でもチャレンジします!!
  今日のところはここまでにして、そろそろ寝ます。明日はZ社。といっても、明日はワークセッションではなく、ひっさしぶりの再会を祝して飲み会でーす!一部の方とは、昨秋10月末のモーターショーですでに再会しているんですけどね\(^o^)/  そして、明後日は当時のメンバーそのままに5年ぶりのワークセッション!たった一度だけのスペシャルワークセッション!!みんな偉くなられて、執行役員や本部長のメンバーとワークセッションするという訳わからぬ展開ですが、もうとにかく楽しんじゃおうと思ってます!ぜひとも、みんなで有意義な一日にしたいと思います。

「作り上げるべきは、 必然性をもってステップアップしていくコトの連鎖!」 2016/1/9(土) 午前 3:08
実現したいことは、個別製品の戦いを回避すること。ある製品を使用して、あるコトを実現したら、必然的に次のコトを実現したくなる。そして、それが実現したら、これまた必然的にさらに次のコトを実現したくなる。重要なポイントは、次のコトの実現は、その前に実現したコトを前提にしていること。「次のコトに目が向いたら、その一つ前に実現したことは関係なくなる」というのは企業にとってマズイ。なぜなら、前のコトの実現に必要だった道具(製品およびサービス)が不要になってしまうから。そうなることを認めたら、前のコトから次のコトに着目点が移ると、使用する道具が単に移り変わるだけで顧客シェアが高まらない。次のコトに映る際、その前に実現したことも継続していないと、次のコトの実現はおぼつかない。という成り立ちにしたい。一つ目のコトから、次のコトへ。さらに次のコトへと移行するほど、使用する道具が増えていき、最終的に道具の組み合わせになる。というのが理想。そんな必然的なコトの連鎖を作り上げることができれば、特定一つの製品が仮に競合他社と比較して飛び抜けた優位性を見出せなくても、その製品が不採用になる危険性を小さくすることができる。作り上げるべきは、必然性をもってステップアップしていくコトの連鎖!

「ライトな人は、やりたいことが特にない。仮にそうだとして、で、どうする?」 2016/1/9(土) 午前 3:35
  一口に「既存ユーザー」といっても、今後の関連購買意向が高いユーザー群と、低いユーザー群に分かれる。以後、前者をロイヤルユーザー、後者をライトユーザーと呼ぶとして、両者の違いは何か? その答えの一つとして、ブランドプロポジションの「理想」欄の内容が違うことが挙げられます。ライトユーザーは機能的価値と感情感覚的価値の評価に留まるのに対し、ロイヤルユーザーはそれらに加えて「長い時間をかけてこのブランドに関わることで自分自身に生じる変化」に関することに重きが置かれた評価になっていました。
  ここで問題が起きます。それは、ライトユーザーがそのような機能的価値と感情感覚的価値の評価に留まるのは、彼らにやりたいことがないからではないか?一方、ロイヤルユーザーと呼ばれる人にはやりたいことがある。やりたいことがもともとある人が、そのブランドに出会った、だから、ロイヤルユーザーになったといえるのでないか?という指摘です。なるほど、たしかにそういうのもあるかもしれない。だけど、その立場を取ってしまうと、もともとやりたいことを持って人しかロイヤルユーザーになれないことになってしまう。重要なことは、ロイヤル顧客の創造。顧客を育てるという発想。となると、ライトユーザーにはやりたいことがないというのなら、製品あるいはサービスの使用を通じて、本人がやりたいことを育むことが重要になる。だから、コト実現ストーリーが必要。着実に一歩一歩、実現するコトが進展していくことで、次第に自分がやりたいことが見えてくる。こうして、ライト顧客はロイヤル顧客へと変貌する。ここで注意しなければならないことは、コト実現ストーリーの実践に多大な労力を要求することになると、いかんせんライトなだけに、途中で嫌になっちゃう。かもしれないということ。
  ということで、ポイントは「しんどさなく、なんかやれそう」とコト実現ストーリーに対して感じられること。にゃるほど。そういうことですか。と、書いているうちに、胸が苦しくなります。自分自身に思いっきり当てはまるフシがあるのです。押し付けがましく「おい。おまえのために、ストーリーを作ってやったぞ」と言われても、そのストーリーがめっちゃ大変そうだと、そりゃしり込みしますよね。「あるステップまで来ると、自らすすんで次に行きたくなる。なんか自分でもできそうだと思える」・・・そんな感じがいいですよね。きっと。最終ステップ(最後に実現するコト)には相応の覚悟を要することがあっても、最初から覚悟を要するストーリーに誰が好き好んで乗っかるのか。公文式がいい。最初のうちは、楽にできる。次に進みたくなる。進むほどに少しずつ様子が変わっていって、いつしか本気でのめり込む。
  いつのまにか本気になっていた。それが理想かな。ある程度の努力を要しないと、達成感は得られないと思う。そもそも達成感がいるのか?という指摘があるかもしれないけど、んー、、自己有能感を味わいたいというのは、人が元来持っている欲求なのではないかと思いたいのですが、はたしてどうなのかな。ただし、「ありとあらゆる事柄に自己有能感を」とはいかないですよね。だけど、自己有能感を見いだす事柄が増えていくという発想はアリだと思うんです。それはつまり、いままで低関与だったことが、なにかのきっかけで高関与になっていく。という感じ。もともと低関与な事柄が、次第に高関与になっていき、最後はいつのまにかのめり込んでいて本気になる。最後に実現したコトによって自己有能感を得る。そんなコト達成ストーリーに導いてみたい。サービス・ドミナント・ロジック的な様相を呈するのは、終盤コトでいい。低関与な事柄なのに初めのうちから知識スキルを要求するといとも簡単に挫折しかねない。私が昔むかしに経験したPhotoshop早々に断念がその象徴だったと思う。最初はクックドゥー、次第に本人なりの創意工夫が発動し、気がつけば本気。んー、いいなー。昨秋から私自身が興味を持ち出した「健康」の場合は、どんな感じのストーリーにすれば私自身がのめり込むんだろう。いまはまだ、「マナ酵素を朝に飲むようになりました」という私なのですが、これは金はかかるけど労力をほとんどまったく必要としていません。で、そんな私は次にどんなコトに向かいたくなるんだろうか?

「次第に挑戦したくなる。ということ?」 2016/1/9(土) 午前 4:27
  んー。もう深夜4時なので、眠いっちゃ眠いのですが、今日の話し合いが刺激的すぎて、寝るわけにはいかず、感覚が残っているうちに少しでもメモに残しておきたい気持ちにかられています。ニーズの創造、さらにいえば、ニーズの継続的創造。そのアプローチはいくつかあるのでしょうけど、私はやはり、「あるお題に関して、やってみたいことが進化していくこと」という観点からトライしてみたいな。そのための要件は、「次第に挑戦したくなる」がストーリーに埋め込まれていること。
  昨秋の集中講義を思い出します。受講生のみんなに感想文を書いてもらったのですが、そのなかに、まさに「気がつけば本気になっていた」という趣旨のことを書いてくれた感想文があったんですよね。その学生に、なにがあったのかなあ?どういう因果で「次第に挑戦したくなる」になってくれたんだろうか??私がその科目の担当なのだから、私がその因果をわかってなきゃいけないんだと思うのですが、、、すみません、よくわからないんです。一つ言えることは、私は自分が教員であることを忘れ、自ら楽しんでしまっていたという自覚はあるんですけど。それ、関係ないでしょうし。んー。わからん。

「はじめにwillありきという考えは是か?非か?」 2016/1/3(日) 午後 2:33
「もし、自分に務まるなら、やってみたいです」・・・そういう前置きやめてほしい。「後ろ盾がないから、できない」・・・後ろ盾というのは自ら作るもの。因果が逆だ。甘ったれるな。「やれるかどうか」より、「やりたいかどうか」であってほしい。3C分析と同様、will-can-mustの輪も、巡る順序が重要。先立つものは、willでありたい。そして、それをmustに変換することができる、つまり、他者を納得させて集団からみた舞台にこしらえることができる。そういう人がチャンスをものにできる人なんだと思う。canが確認されてからでないと、willを表明できないのは、臆病者だと思う。このように、「はじめにwillありき」というのが、もともとの私の考えでした。willがあれば、canは自ずとついてくる。と考えていたのです。が、昨年の経験もあり、私はようやくこの考えに修正を加える必要があるとわかりました。[will-->can]だけでなく、[can-->will]もある。

「急に分からなくなった!willって何だ!?」 2016/1/3(日) 午後 3:14
やる気はある。しかし、具体的な構想はない。こういう人は「willがある人」と言うのかな?あるいは、やる気はある。しかし、現時点では自分が所属する部門に関する遂行能力しか持ち合わせていない。こういう人は「willがある人」というのかな?んー、、willって何だ?高い問題意識を持っていること? 強い危機意識を持っていること? 今後やってみたいことを胸に秘めていること? 将来を見据えた自分なりの構想を持っていること?自分の能力をもっと高めたいという向上心を持っていること?

「誰に、何を達成させてあげたいか?」 2016/1/14(木) 午後 11:35
いままで「誰に、何をさせてあげればよいか?」という発想ばっかりでしたが、もう一段上に上げて、「誰に、何を達成させてあげたいか?」という発想が求められるということなのだろうか?

「気がつけばのめり込んでいる。そんなストーリーを描いてみたい。」 2016/1/15(金) 午後 6:47
  このあいだの濃密な5日間を振り返ってみました。一番頭に残っていることは、「しんどさなく、なんか自分でもできそうだと思える。最初のうちは楽にできる。しかも、楽しい。だから、次に進みたくなる。進むほどに少しずつ様子が変わっていって、いつしかのめり込んでいた」というストーリーを用意することの重要性。最初のハードルは低く、自らすすんで次のステップに行きたくなるストーリーを描いてみたいと強く思いました。最初から覚悟を要するストーリーを用意することは、自ら間口を狭めるだけ。この視点から見ると、あの文脈価値達成ストーリーは、、まだ深掘り検討の余地アリです。なぜ、あの初動なのかについて理屈が必要だと思う。下手すれば、ストイックな人たちしか対象にならない。必然的に、間口は狭い。
  次に、また別の文脈価値達成ストーリーは、端的に言って、実行主体者側の視点が軽視されている。プロダクトアウト的な発想といえそう。当事者側には、複数の立場がある。個々の立場に個別の利害がある。文脈価値達成ストーリーは、個々の利害の違いを超えて「いいね!」と思えるものにしなきゃ。しかも、要する工数が許容範囲内で。結構、難易度が高いです。だから、なんとか描きたいんです。

「ヘンな宿題」 2016/1/20(水) 午後 9:44
いつの間にか学んでいる。名付けて、「ベストキッド・モデル」。にゃるほど。本人が気づかぬうちに、先回り。ある意味、「おもてなし」ですね。

「人間の本質は、遊ぶこと」 2016/4/11(月) 午後 11:59
今日のワールドビジネスサテライトは、とても面白かったです。ソニーの新しい挑戦、いいですね!ほんと興味深いです! ホモ・ルーデンス。人間の本質は、遊ぶこと。ふーん、、そういえば、学生時代に社学かなにかでそれを教わりましたっけね。なるほどね~。

「【メモ】レディフォー」 2016/1/18(月) 午後 11:16
・支援を実感する仕組み
・繋がる支援の体験
・関与したい気持ちがお金の流れを生む
・仲間がいるんだ、という嬉しさ
・誰もがやりたいことを実行できる社会を作る
・お金が動くとは、意思が動くということ
【自問自答】→→ 「ここでどんな経験ができるか?」を示してきたか?その発展過程をシナリオで表現できていなかった。

【講義メモ】「人材育成とは、才能を解放すること」 2016/1/18(月) 午後 7:31
【人材育成のポイント】
・環境が人を育てる
・決断経験を増やす
・セカンドチャンスを提供する

ゲイリー・ハメル「経営は何をすべきか」
【能力のピラミッド】
6. 情熱
5. 創造性
4. 主体性
3. 専門性
2. 勤勉
1. 従順

「いつかまた」 2016/1/17(日) 午後 6:49
  いま、インナーブランディングを読み返しています。『「バーゲンダッツは高級なものだから、その価値を守るために大切に扱わなければいけない」という意識が、インナーブランド構築が目指すブランド意識です。』という記述のところで、さきほどから立ち止まって考えています。
  今年度で、技術経営を前面に出した専攻が幕を閉じます。そして、それより先に、その考えに共感して私が構えた器が幕を閉じました。よくよく考えると、「まだやれることはあった。ブランドマネジメントを専門にしていたはずの私自身が、ブランディングを怠ってしまった」と、痛烈に思います。

「北風と太陽」 2016/1/18(月) 午後 1:02
  「良い習慣を創る」という言葉がずっと頭に残っています。そして、さきほど、ハッとしました。この言葉は、私がこの言葉を最初に聞いた時に思ったことより、ずっとずっと深いのではないか?
  まずなにより、これは、製品使用者本人の製品に対する直接的な要求品質ではないです。「場」に関わるすべての主体の振る舞いに目を向けたものであり、さらに言うと、主体間の関係性に目を向けたもの。
  「北風と太陽」・・・ そこに太陽として、どんな道具を提供できるか?という発想だと思う。すごいと思う。北風政策で思うようにいかず困っている人に、相応しい道具立てで太陽政策を提案するものなのではないかな。 

「わんわん王国ブランディング」 2016/1/18(月) 午後 7:24
・ 触れてみたい気持ちになる
・ そっと触れてみたい
・ 新しい世界を見せてくれそう
・ まだ見たことない世界をそっと覗いてみたい
・ 新世界に触れてみたい
・ 関わることで、自らの手で自分のwillを見つけられそう
・ これまでの自分を見つめ直す機会がある

『「強制」から「誘引」へ』 2016/3/21(月) 午前 3:47
  いやあ、まいりましたねえ(苦笑い)。頭の中がグルグルしてます。先日、ある方から「あのとき、先生は我々を試していると思ったんです」と言われました。そのときは固まってしまい、何も言えなかったのですが、今日いろいろ投稿しているうちに分かってきた感じがします。
  たしかに。「試した」と言えるんだと思います。もうすこし言葉を足すと、「目を覚めさせたくて、火をつけてみようと思った」です。プレッシャーをかけて、退路を断たせる。選択肢をなくす。逃げ道を塞ぐ。これは私の常套手段になっているかもしれません。「かもしれません」ではなくて、「なってます」です(汗)。一昨年にご一緒した某社の女性プロジェクトでも「高校の女子バレー部の鬼コーチみたい」と言われました(汗)。私自身がこのやり方で強くなったこともあり、やってしまうんです。「これが時に不具合を引き起こしている。いまの時代に合っていない」ということを薄々感づいてはいましたが、「薄々」が災いしてズルズルと続けてしまった。昨年ようやく強く認識しました。追い詰められたら、逃げたくなる。現代は特にそうですよね。時代は変わりました。変更が遅くなってしまい本当に申し訳ありませんでした。
  「本気」「覚悟」「必ずやり遂げる」といった、強い気持ちで相手と一致していたい。気持ちの強さがピタっと合った状態で相手と一緒に突き進んでみたい。なんとしても結果を出したいから。そういう気持ちが強いのだと思います。そう思うことそのものは悪いことだと思わない。これからも気持ちの強さの一致を望む姿勢は変わらないと思います。問題は、そこまでもっていくアプローチです。早い話、今までのやり方は「強制」だったんだと思う。このやり方が通用する相手はいるにはいますが、確実に少なくなっていると思う。
  あの一件以来、アプローチを変更しようとしています。結構大きな変更なので、まだ変更し切れていないのですが、昨秋の集中講義でやってみました。ただ、初めから終わりまで首尾一貫していたかというと、、、うううう。もごもごもご(←口ごもっている様子)。アプローチ変更について、自分自身に対して掲げていることは、
  「強制から、誘引へ」 ・・・ 今年1月のブログにも書いた「しんどさなく、自分にもできそう。しかも、楽しい。いつの間にかのめり込んでいて、気がついたらめっちゃ成長していてビックリ」が誘引アプローチ!これが理想!やみくもに相手に共感しようという気はありません。良いものは良い、ダメなものはダメ。ダメなものを良いと言うつもりはありません。おまえの勝手な判断で[良い-悪い]を決めるな!と言う人もいるでしょうが、判断するのは双方でしょう。私だけが判断しているのではないわけですから。やみくもに相手に共感するつもりはなく、ダメなものはダメですが、しかしそれは、ダメなものをダメなまま放置するということでは勿論ありません。なんとかしようと行動します。その行動を、これまでは強制アプローチだったのに対し、これからは誘引アプローチにしたいんです。
  ということを思い出し、昨日は、昨秋の集中講義受講生から届いた講義感想文を読み返していました。反省点がありますから、喜び一色になりませんが、引き続き誘引アプローチのレベルを上げていきたいと思います。今月初めの、理想追求型QCストーリー フォローアップセミナーは、誘引アプローチ第2弾の機会でした。相変わらず反省点がありますが、セミナー終了後のアンケートを読むと実行レベルは上がったかもしれません。

「こんなんどうかな?」 2016/4/11(月) 午後 8:09
第1期  期待喚起期・接近願望の喚起: 自分が今まで見ていた世界とスケールが違う。ワクワクすり。自分にできるかどうかわからないけど、すこし覗いてみたい。気になる。触れてみたい。
第2期  安心の確保(またの名は、信用の形成): 何を言っても大丈夫。安心してその場に存在できる。自分なりの意見を言えるようになる。表明する意見が間違っているかどうか怖くない。なぜなら、すでに安心が確保されているから。
第3期  自己有能感の獲得: 恐る恐るながら、目標を設定できるようになる。ヒヨッコ目標ながら、それが達成されて成功体験となる。それをできるようになって嬉しい。自己有能感の獲得。
第4期  自我覚醒期: 自分にどのような能力があるのか気づき始める。自我が目覚め、自らの意志ある自由が向かう先を定めたくなる。
第5期  利害調整期: 相手の能力を認識し始める。
第6期  相互信頼の好循環: 自己マスタリに本格的に火がつく。相手の能力を信頼し、自らの知識・スキルを熟達させていくことに迷いがなくなる。かくして、未来予想図が共創される。

「自分に期待できる」 2016/5/16(月) 午前 1:03
  さきほど、いろいろ書いていて、ふと突然に頭に浮かびました。どんな思考の廻りでそうなったのかは、突然すぎて自分でもわかりません。「いまの管理職は、自己肯定感が弱い」という話や、「成長予感って、別の言い方すると何だろ?」とか、「SDロジックの考え方を取り入れられないかな」とか、Ka社と意見交換した時の「自分にもできそう、という感覚を持ってもらうことが重要」という話を思い出しているうちに、突然にKr社のプロジェクトメンバーと打ち立てたお星様の内容を思い出しました。
  「自分にできそう」「自分に期待できる」・・・これは鍵になると思う。しかし、これが根拠なき本人の勝手な勘違いだと困る。「俺はまだ本気になってないだけ」という人の場合、悪質さが助長されるだけ。根拠がいるんだ!タレントマネジメントの発想が要る!
  組織能力の発展過程に重きを置いた事業の将来展望と、従業員自らのタレントの発展過程に重きを置いたキャリア形成の将来展望。これら2つの展望に、いまの自分はかくかくしかじかこういう事実で関与できていると実感できている上で、これからの自分に期待できる。そういうのがいいなー。

「承認欲求が昔と今では位置づけが違うのではないか?」 2016/5/3(火) 午前 0:43
  「ことわざによれば「豚もおだてりゃ木に登る」のですが、現代社会では、おだてても登らない」とのこと。その最大の理由は、承認欲求の下位次元化なのでしょうか?
  良い悪いは別として、バブル時代の承認欲求は、マズローの欲求5段階説のとおりだったような気がします。いや、もしかしたら、承認欲求が最上位だったかもしれません。「自己実現」という名の承認欲求。そんな風にいうと、「自己実現」がなんとも薄っぺらい ( ;∀;)
  一方、いまの承認欲求は、“承認欲求=生存欲求”ということはないですか?? 「褒められることは、自分が次のステージに進む際の力になる」というより、「 褒められること(認められること)自体が目的化しているため、伸ばしてあげたいと思って褒めても、褒められた本人は褒められたこと自体に満足してしまう。ということはないだろうか??
  「承認欲求」の意味合いは、時代とともに変化していて、世相の影響を受けているのかもしれない。欲求段階説に、承認欲求を入れないほうがいいのかもしれない。承認欲求が含まれない欲求段階説があり、その上で「現代の承認欲求は、第○段階に相当する」というふうに考えたほうが、たとえば上司が部下と向き合う際の方針設定にいいかもしれません。

「相互理解と支援、フィードバック。相互に学び支援し啓発し合う場づくり」 2016/5/15(日) 午前 9:57
これを一言でいうと、組織内コミュニケーションなのでしょう。何の異論もありません。おっしゃるとおり。正論です。そう。正論なんです。だから、正論を言葉だけに終わらせず、実体に落とし込む必要がある。この落とし込みが、「組織開発」なのかな? そうだとすれば、どうやって組織開発するのか?

「これからの時代の顧客志向とはすなわち、どんな業種であれB2B/B2Cを問わず、生産財意識を持つこと」 2016/6/10(金) 午前 2:59
生産財(せいさんざい): 経済学用語の一つであり、企業が生産活動を行う場合に必要とする財のこと。この定義を次のように変えてみたら、どういうことになるかな?
  「企業が」という主語を、抽象化したい。「企業/個人を問わず、主体が」という言い方に改めたい。次に、「生産活動を」という目的語も一般化したい。「創造活動を」に改めたい。“production”ではなく、“productive activity”に改めたい。そうすれば、顧客の使用価値にもっと意識的になる。顧客の生産的な創造活動の発展にもっと意識的になる。要は、グッズ・ドミナント・ロジックを破棄せよ。だと思う。これをどう共通認識にしていくか。これがとても重要になる。
  まずは、「モノ・コトづくり」という人を混乱させる言い回しを是正すべき。「モノを通じて、コトづくり」とか、「目的としてのコト実現に向けた、手段としてのモノづくり」なら分かるけど、「モノとコト」の関係は並列じゃない。目的-手段の関係。「モノ・コトづくり」は、どうしてもいただけない。絶対にやめるべき。

「カテゴリ・ブランディングの進化過程」 2016/7/16(土) 午前 3:02
今日は大変有意義でした。忘れないようにメモしとかなきゃ。とても重要な気づきだと思います。
第1ステージ: 価値テーマを実現する手段が、個々に独立して存在している。手段同士は特に関連付けられてはいないため、顧客が最初に導入した手段のほかに別手段を取り入れるかどうかは、顧客任せになる。「術中にはめる」ストレッチは効かない。
第2ステージ: 価値テーマを実現する手段同士が、相互に関連付けされて存在している。顧客は、まず特定の1手段を導入後、価値テーマを更に高度実現したくて、その特定1手段と関連付けされている別手段も取り入れる。かくして顧客シェアが向上する。
  第1ステージから第2ステージへの移行は、手段群の個々を「アプリケーションの個々」とみなす、プラットフォーム(OS)を設定できるかどうかが大きい。プラットフォームはアプリやソフトウェアであればなんでもいいのではない。「価値テーマの実現程度をPDCAするための」という趣旨に即したものでなければ、顧客はそのプラットフォームを導入する理屈が成り立たない。このことは、IoTについて、モノとモノが繋がりさえすれば付加価値が生まれると思っている場合、大した価値を生むことはできない。という主張と意味合いが同じ。
  何のためにモノとモノを繋ぐ必要があるのか。何のために手段同士を関連付け必要があるのか。その答えが顧客からみて必要性を見いだせないかぎり、うまくいかない。なお、何のためにモノとモノを繋ぐ必要があるのか。何のために手段同士を関連付け必要があるのか。の答えが、どこに表記されるべきかといえば、価値テーマ内容に他ならない。換言すれば、手段同士を関連付けるべくして関連付ける価値テーマを考案できなければ、第2ステージには移行できないことになる。
  「賢く施工しようぜ!」という価値テーマで見込み客を誘引して、その価値テーマの達成状況をモニタリングして顧客が自らPDCAするためのプラットフォームとして、「ホニャララコネクト」を前面に打ち出し、このプラットフォーム上で、「自動測量」や「マシンガイダンスおよびコントロール」などアプリケーションを次々と充実化させているK社は、突出している。あらためてそう思います。

「共創プロセスの各期に記すべきことはなにか?」 2016/10/15(土) 午後 2:02
(1) 目指すは、「顧客の成長」だったはず。
(2) Be、Do、Haveのニーズ区分でいうと、重要なのは「新たなDoニーズの継続的創造」。
(3) さらに、SDロジックを加味すると、「顧客の知識・スキルを育む」という視点が欠かせない。
  いままでは(1)と(2)の組合せに目を奪われていたのかもしれない。だから、第1期、第2期、第3期のラベル表現が「親分Doニーズ」というめっちゃ曖昧な言い方になっていたのかも。
  事の発端は、今年1月8日。茅場町の企業の方とディスカッションする機会をいただきました。当時の、一番新しい研究をご紹介したところ、「第1期→第2期→第3期の各期に表現された内容の並びに、必然性を感じない」という厳しいコメントでした(涙) 「また、話においで」と、立て直すチャンスをいただきました。が、あれから9カ月が経過した今も、修正案を出すことができていません。早くしないと、2016年が終わってしまう。実は、、正直な胸の内を申し上げますと、今年1月8日以降、今日に至るまで、ずっと胸がつかえている感覚があるのですが、それは、修正案を出せていないことが最大の原因です。早く行かないと、恩返しのタイミングを逃してしまう。このことがいつも引っかかっています。
  すこし流れが変わるきっかけになったのは、博報堂Howの「実行したくてたまらない目標をつくる」という本を読んだことかな。私が本を読む時は、読みながら同時に解釈を進めていくため、もはや「自分の解釈」しか頭に残っておらず、実際のところあの本に何が書いてあったのかが記憶としてあまり残っていないのですが、この本をきっかけに第1期、第2期、第3期の各期のラベルに記すべきは「目標」であり、「KPIに置換できる表現が望ましい」と考えるようになりました。それまでの「親分Doニーズ」だと、第3期の親分Doニーズは、第2期の親分Doニーズが達成されて初めて移行できるニーズになっているのかどうか。第2期の親分Doニーズは、第1期の親分Doニーズが達成されて初めて移行できるニーズになっているのかどうか。。どうにもこうにもわからなくなる場合が多かったんです。その結果、上記の「各期に表現された内容の並びに、必然性を感じない」という評価をくらうのは当然。悔しいですが、自分の考えの不足を認めざるを得ません。でも、上記の本を読んだところで事態が解決したわけではありませんでした。
【今後の鍵】
・ PDCA=マネジメント
・ デミングサークル継続的実践=知識・スキルの向上
・ 顧客の○○マネジメント活動に貢献する

「北島談」 2016/4/10(日) 午後 7:57
自分の夢が実現すると思わせてくれるコーチだった。

「井村コーチ談」 2016/8/27(土) 午後 5:30
明確な目標。その達成を保証する。能力を日本に持って帰ってくるな。五輪で使い切って帰ってこい。これが私の責任の取り方。責任を取れたと思う。

「自分の価値は、どれだけの人を輝かせることができたか」 2016/10/8(土) 午後 1:57
  2006年、2010年、そして、2015年。2006年は池田に助けられました。2010年は松村に救ってもらった。しかし、2015年は。さすがにもうダメだった。そんな私なので、まったく説得力がないのですが、
  人の人生の価値は、自分がスポットライトを浴びることではなく、その人間が、どれだけの数の人間にスポットライトを浴びさせることができたか、で決まると思ってます。いまでもどう思っています。
  そして、それは、ブランドマネジメントも同じなんじゃないかな。つまり、事業主体が自ら打ち立てたドメイン・ブランドは何のために存在するのかといえば、その答えは、ほかならぬ顧客の成長・発展をサポートするためにあるのではないだろうか。だから、その成長・発展のための方策を次々と提供している必要がある。かくして、顧客から見て無くてはならない存在になる。

「最後の箱根。103QCS」 2016/12/3(土) 午後 3:01

【メモ1】 何の生産性を向上させるか?
  「生産性向上」に対する日本の意識の高さは世界ダントツ。生産性向上は、「分子を大きくするアプローチ」と「分母を小さくするアプローチ」に大別される。前者は、効果。後者は、効率。ひと口に生産性向上といっても、2つのアプローチが存在する。さらには、「何の生産性を向上させるのか?」という対象は、無限大に近い生産性向上の対象の設定力が極めて重要。時間とともに、つまり、顧客の習熟に伴い、向上させたい生産性テーマは進化する。時間とともに、いまの目的は次の目的へと進化する。

→ 「何の生産性を向上させるか?」という価値共創の発想

【メモ2】 IoTがもたらす顧客関係性の変化
(1) ホワイトカラーの生産性: IoTによって業務プロセスは変わるのか?
1.1 分母を小さくするアプローチ: プロセスがもっとシンプルになる。活動が効率的になる。価値連鎖のなかで付加価値を生む行為の占有率が高まる。
1.2 分子を大きくするアプローチ: 営業活動が劇的に変わるのではないか。顧客に最も近い営業が変わると、事業の仕組みがガラっと変わる。ハードウェアを売っていた営業とは違う。顧客と直接向き合う営業は、IoTをどううまく使えるか?

(2) IoTは、TQMの発展に貢献するか?
2.1 異なる部門が、情報を共有。月1ペースの情報共有が、質と量が上がる。
2.2 TQMの根幹はPDCAを回すこと。意思決定が速くなる。高速PDCA。

(1)と(2)の話をくっつけてみたい。SDロジックの本質は、価値共創。「企業が価値を創って、提供する」という考え方は誤り。では、何の価値を共創するか? 前投稿の 「生産性向上」 に着目すると、
「何の価値を共創するか?」は、
「何の生産性を一緒に向上させるか?」と言い換えることができる。

上記(2)では、PDCAの主体はあくまで企業側という暗黙的な前提があると思われるけど、価値共創時代の今日、PDCAをぶん回す主体は、企業と顧客の双方。つまり、IoTがもたらす最大変化の一つは、顧客関係性なのではないか。これまでの顧客関係性は、「売る企業」 と 「買う顧客」 という取引の関係。一方、SDロジック登場後の顧客関係性は、共創の関係。これまでは「共創」というボワーンとした言葉が使われてきた感がありますが、IoTによって多種多様なデータをひとまとめに使える時代に入ったことにより、単なる「共創の関係」という言い方ではなく、もっと踏み込んだ言い方ができるようになるんだと思う。それは、「共通テーマを協働PDCAする関係」。ハードあるいはソフトを売りっぱなしではなく、売った後も一緒にPDCAを回す関係。顧客の関心事であるテーマに即して、道具としてのハード・ソフトを提供し、テーマの進捗度合いや達成状況を共同管理する関係。なお、ここでいう共通テーマとは、企業と顧客が合意した「生産性向上の対象」のこと。初期の生産性向上の対象は、ある一定以上の成果を出した時点で、次の対象に移行する。その対象もある一定以上の成果を出した時点で、さらに次の対象に移行する。
  これからの時代の営業は、「売り子」 じゃない。中長期的な観点から、協働PDCAを策定し、進捗を管理する 「アカウントプランナー」 的になるべきなのではないだろうか。その過程で、ハード・ソフトの売り買いが発生する。いわゆる 「販売」 は、結果として生じるのであり、目的ではない。目的はあくまで、共通テーマの協働PDCA。そうなってくると、、もはや、「売り手」と「買い手」という考え方を破棄したほうがいいんじゃないだろうか?

【メモ3】 すべては協業。「顧客」と「取引先」を区別することは無意味
  「共通テーマの協働PDCAする相手」は、自社製品・サービスの買い手だけじゃない。オープン・イノベーションの相手ともいえる。顧客と呼ばれる「買い手」と、オープン・イノベーションの「協働」はいったい何が違うんだ?? 「共通テーマの協働PDCA」という観点から見て、両者に違いはない。というか、違うとみなす必要があるのか? それまで顧客だと思っていた相手は、そのさきの相手に向かって、協業する関係になるかもしれない。また、それまでシーズを融通する相手だと思っていた相手は、あるときから「買い手」一辺倒になるかもしれない。
  両者を区別する必要性が急にわからなくなってきた。「顧客」 という言葉がむしろ邪魔なのかもしれない。基本線は、「共通テーマの共同管理」あるいは「相手と協働するテーマの設定と共同管理」が、脱・単品販売ビジネスをもたらす。という発想。「共通テーマの、協働PDCA」という視点が欠かせない。


==========
本年1月8日以降、11カ月をかけて、「共通テーマの、協働PDCA」という見解まで辿り着きました。しかし、、、 残されている時間は、もうなくなっていたのです。
==========


「2016年は、茅場町で始まり、そして茅場町で終わる。」  2016/12/28(水) 午後 4:34
私の2016年が終わりました。

「いま思っていることを書けるまでにはもう少し時間がかかる」 2016/12/28(水) 午後 9:35
いまも複雑な心境です。感謝の気持ち、寂しい気待ち、いろいろありますが、いま最も強い気待ちは、お詫びの気待ちです。さきほどの投稿で、「2016年は茅場町に始まり、茅場町に終わった」と書きましたが、それではいけなかったんです。では、1月8日の予想とは間逆の事態をどう修正すればよかったのか。いまもわかりません。わかるまでに、時間がかかるのかもしれません。

Mさんに初めてお会いして今年で20年目。本当にお世話になりました。本学から着任の話をいただいた時、私が真っ先に相談したのがMさんでした。名古屋に着任後、何度も名古屋にお越しいただき、私が担当する授業でご講義いただきました。2005年には、わざわざ下呂温泉までお越しいただき、初めての研究室合宿に参加してくださいました。湯之島館での夜中の卓球大会はほんとに楽しかったです。そのMさんは今年、ご定年を迎え、今日はMさんが茅場町に出社する最後の日だったのです。

===【以下、2016年12月31日加筆】===

過ぎてしまった時間は戻りません。
寝かせていたわけではありません。
しかし、間に合いませんでした。

前職の入社2年目で初めてお会いし、右も左も分からぬ若輩者に様々なチャンスを与えてくださいました。心から感謝いたしております。

それなのに本当に申し訳ございません。
お詫びの言葉もございません。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3957

Trending Articles