加藤研究室を配属先候補としてご検討くださっている3年生のみなさんへ
詳しくは8月12日の研究室紹介の時にお話しようと思っておりますが、昨年10月11日にfacebookに投稿した内容を以下に転載いたします。みなさんの研究室選びになにか参考になれば幸いです。
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2012年10月11日
今年も研究室配属の時期を迎えました。加藤研究室は、2年ぶりに配属されることになりました。今後、どのような方針で学生と向き合っていくか、書いてみたいと思います。
とにもかくにも
2年前に発覚した脳血管損傷の病気は、今年5月の検診で「悪化は認められない」という結果が出て少しホッとしています。
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広告人から大学人に転身して今年で10年目。
早いもので名古屋に来て10年が経ちました。
これまでの在職最長記録は、前職・広告会社の8年。
前々職の食品会社は、わずか1年1か月の在職。
2003年に名古屋に来たときは「何年もつのかなぁ」などと思っていましたが、、、、なんと今年10年目です。それまでの最長記録を更新してしまいました。
大学に転身した着任数年間の私は
まるで「鬼軍曹」だったと思います。
自分自身で振り返ってみてもそう思います。
着任初期の数年間の厳しい指導が災いし、事実に加えてネタが尾ひれはひれくっついて厳しいイメージが強化され、現在に至ってます。「あの研究室は厳しい」というイメージはなかなか弱まらず、、、困ってます。汗汗
2003年の着任から7年間も鬼軍曹をやっていたので
そりゃまあ、厳しいイメージはなかなか変わらないですよね。
大学着任後7年間は
「うちの研究室から社会に出るのであれば、卒業時までにこういうレベルに到達しているべき」という到達点イメージを指導教官である私自身が描き、それを研究室の各学生に押し付けていました。「押し付けていた」・・・ いま振り返ると、まさにこの表現がピッタリだったと思います。学生一人ひとりの個人差を考慮せず、一方的に「一様に描かれた最終到達点イメージ(卒業時の到達イメージ)」を提示し、「卒業までの期間中に能力レベルを引っ張り上げる」。こういう強引なやり方でした。
適切ではなかった。。
いまの時代に相応しいやり方じゃなかった。
到達イメージは
自ら描くものであって、
外部から与えられるものではない。
課せられるもの、強要されるものではない。
そんなことあってはならない。
こういう認識に至るまでに7年を要した
という情けない有り様でした。
ほんと、恥ずかしいし、情けないです。
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education 教育
[語源] L.educatio = e-(=out)+doctus = 子供の資質を引き出す行為
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"Education"の語源は、
ラテン語で「能力を最大限に引き出す」という意味なのだそうです。
学生が自らの力で明るい将来を切り拓くことにどれだけ寄与できるか。自分にどのような能力があり、自分は何に向いているのか。そのことを学生一人ひとりが自分の資質や才能に気づくことに指導教官として力を発揮したい。
1年間のブランクを置いた今年度の配属からは
"Education"という言葉の真の意味合いを大切にして行動に移します。
「能力を引っ張り上げる」のではなく、
「隠れた能力に本人が気づき、一緒に花開かせる」ことに徹したい。
両者は単に言い回しの違いではなく
私の立ち位置が違う。
「引っ張り上げる」という場合、
私の立ち位置は、最終到達点側にあって、そこから手を学生に向かって差し出して、ぐいっと引っ張るイメージ。これはもう「修業」ですよね。
一方、「隠れた能力に本人が気づき、一緒に花開かせる」という場合、私の立ち位置は、最終到達点からみて学生のさらに後ろ、あるいは、学生の横にいて、一緒に到達点を指さしながら、歩いていくイメージ。さらに、その前段階として、学生自らが到達したいと心から思える最終到達点を描くことに協力する。そういうイメージです。「修業」ではなく、「楽しい旅」。
バックキャスティングは
「自分がやりたいからやる」ことに意味があるのであって
「先生や上司に言われて、やらされる」もんじゃない。
企業案件でこれだけ「共創」とか「エンゲージメント」を連呼してその重要性を強調するんなら、研究室の学生指導でも実践しなきゃ、ですよね。。
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先日、研究室配属の予備調査がありました。
加藤研究室への配属を第1志望にしてくれた学生は3人。なんと3人もいました。明日が最終の本調査。ふたを開けたら「配属ゼロ」ということがないともいえませんが。。。
新しい顔ぶれが揃う日はもう間近。
いまからとても楽しみです。
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昨年10月11日、
以上の内容を投稿しました。
まもなくして、蟹江、大野、安藤の3人が加藤研究室に加入しました。
彼ら3人に対して
いろいろ至らぬ点はあったろうと思いますが(汗汗汗)
この10ヶ月間、上記の方針で向き合うことを徹底してきたつもりです。
社会に出るとは、
「プロになる」ということ。
ここでいう「プロ」とは、給料をもらって生きる人間をいいます。
将来、何のプロになるのか。
学生最後の研究室生活というのは
それを決める極めて重要な月日なのだと思います。
そのような研究室生活における
指導教官の最大の責務は、
学生各人の潜在能力に気づき、
将来に向けた「伸びしろ」を広げることだと考えています。
昨年度と、それ以前の
私の指導の最大の違いは、
それまでの指導では
私が自ら描いた 「卒業時にはかくあるべし」 という勝手な像ありきだったのに対して
昨年度からは
「目指す姿は学生各人によって異なる。目指す姿は、学生本人が自ら描かなければ意味がない。指導教官は、学生が自らの目指す姿を定めることに協力する存在」ということを大前提にしている点です。
指導教官の役割は、専門分野の知識を伝授することに留まらないと考えています。