さきほどの内容を書いていて、思い出しました。
マーケターとして駆け出しの20代の頃、
かわいがってくださったクライアント(大学の大先輩)と雑談していた時に、話の流れで「私には足場がない。確固たる足場がほしい」といったことを口走ってしまいました。マーケターをやっているけど、学生時代は電気工学と経営工学でマーケティングをまともに勉強してなくて、経験値もないから、正直なところ自分に自信がない。という趣旨だったと思います。
そしたら、普段は優しい大先輩の表情が激変。「足場などという、くだらないことを言うんじゃない。君に足場はいらないんだ」と叱られました。結構な剣幕だったため、「どういうことですか?」と訊くことができませんでした。終わった後、その場に同席していた大先輩の部下の方々と、「あれはどういう意味だったんだろう?」という話になったのですが、誰も真意まではわからずじまい。
あれから20年以上が経ちますが、
今日抱いた危機感と関係があるような気がしてきました。
マーケの基本をしっかり心得ていない当時の私は、モデリングや情報処理心理学の考え方を実務にバンバン組み込んでました。「ブランド・プロポジション」は意思決定科学の転用だし、ただいま大活躍中の「スクリプト」は認知科学における手続き的知識の転用です。そんな転用に次ぐ転用を、前出の先輩は大変楽しんでくださいました。先輩の部署のみなさまに対して、「加藤君のマーケティングを野球に例えると、同じ野球をやっているように見えて、一つ一つのプレーがアメリカや日本とはぜんぜん違う。キューバ野球みたいだ」と先輩が私を紹介してくださったあの言葉はいまでも印象に残っています。
転用に次ぐ転用。
角度を変えると、要素同士の新結合。
君に足場は要らない
というお言葉は、「君の良さは新結合の創造だから、なにか特定の要素に安定を求めた途端に創造性を自ら失うんだぞ」という意味だったのではないか。
真意はわかりませんが、
そう考えたほうが、自分自身の今後は有意義になるような気がします。
他流試合。
その本質は、新結合の対象となる要素を見い出すことにある。そういうことなのでしょうか?
マーケターとして駆け出しの20代の頃、
かわいがってくださったクライアント(大学の大先輩)と雑談していた時に、話の流れで「私には足場がない。確固たる足場がほしい」といったことを口走ってしまいました。マーケターをやっているけど、学生時代は電気工学と経営工学でマーケティングをまともに勉強してなくて、経験値もないから、正直なところ自分に自信がない。という趣旨だったと思います。
そしたら、普段は優しい大先輩の表情が激変。「足場などという、くだらないことを言うんじゃない。君に足場はいらないんだ」と叱られました。結構な剣幕だったため、「どういうことですか?」と訊くことができませんでした。終わった後、その場に同席していた大先輩の部下の方々と、「あれはどういう意味だったんだろう?」という話になったのですが、誰も真意まではわからずじまい。
あれから20年以上が経ちますが、
今日抱いた危機感と関係があるような気がしてきました。
マーケの基本をしっかり心得ていない当時の私は、モデリングや情報処理心理学の考え方を実務にバンバン組み込んでました。「ブランド・プロポジション」は意思決定科学の転用だし、ただいま大活躍中の「スクリプト」は認知科学における手続き的知識の転用です。そんな転用に次ぐ転用を、前出の先輩は大変楽しんでくださいました。先輩の部署のみなさまに対して、「加藤君のマーケティングを野球に例えると、同じ野球をやっているように見えて、一つ一つのプレーがアメリカや日本とはぜんぜん違う。キューバ野球みたいだ」と先輩が私を紹介してくださったあの言葉はいまでも印象に残っています。
転用に次ぐ転用。
角度を変えると、要素同士の新結合。
君に足場は要らない
というお言葉は、「君の良さは新結合の創造だから、なにか特定の要素に安定を求めた途端に創造性を自ら失うんだぞ」という意味だったのではないか。
真意はわかりませんが、
そう考えたほうが、自分自身の今後は有意義になるような気がします。
他流試合。
その本質は、新結合の対象となる要素を見い出すことにある。そういうことなのでしょうか?