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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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自らが輝く存在になるのか。それとも、自らは輝く存在になることを選ばず、誰かを輝かせる存在になるのか。

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人は独りでは生きていくことができない。
誰かと手を繋いで歩いていくことが人生だとすれば、
自らの立場は2つしかない。

人の手を引いて歩むのか、
あるいは、人に手をひかれて歩むのか。

これまで
何度か、そういう話をしたことがあります。

---

しかし、
ここ最近に起きたことをふまえると
別の切り口で人生を語ることができるのかもしれない
と、思い始めています。

それは、、、

自らが輝いて、その姿を見た他者が追いかけてくる
という存在を目指すのか
(=ジャンヌダルク的な存在)

それとも、
光り輝く可能性を秘めた誰かを
自分の手で輝かせる
という存在を目指すのか
(=軍師 官兵衛的な存在

そのどちらを
人生観として選ぶか?

そういう視点もあるような気がしています。

後者は、決して「人に手を引かれて生きる」という存在ではない。
この世に生きた自らを、どう意味づけるかについての
主体的な選択肢の新たな一つなのだろうと思います。

---

ただしそれは
いま窮地に追い込まれている人間には冷静に判断できないんじゃないかなと思います。

“死”は不可避なため

自分の生涯を閉じる時、
どういう閉じ方をしたいか
を考えてはじめて、見極めができるような気がします。

他の誰かに評価されることなのか、どうなのかに囚われず
本人が望む望まざるを問わず、この世に生を受けた存在として
「自分自身が、自らの生涯を意味づける(=(この世に生きてよかった」)」 という観点から

自らが輝くのか
あるいは、誰かに最大級の花を咲かせることに自らの存在価値を見い出すか

二つに一つ。
そんな風に思います。

中途半端な自分に決別したいと思うのなら、

非常に端的な、二者択一を自らに設け
自らの意思でどちらかを選ぶことが肝要だと思います。

その後、
少しずつ調整して「自分スタイル」を作ると
自分自身が納得できる「自分像」になるのではないかと思います。

「いま、自分はどうしたいか?」
という、刹那的であるべきではないと思います。
それは、後々になって後悔することになりかねない。

いま置かれている状況が苦しければ苦しいほど
いま自分が新たに接した状況は、いまの自分を救ってくれるかもしれない。
と、思いがちですから。

「いま」 ではなく、
「しかるべき将来の、ある時期」 に着目すべきなのでしょう。

「いま」 だけに目を向ければ
いろいろ不本意なことがあるでしょうし、
いまの苦境から脱したいという気持ちも強まるでしょうから、

ビジネスで言えば
「とにかくいまはコスト削減」
ということになりかねないと思います。

しかし、
コスト削減のために企業は事業を営んでいるのではないということと同様、

人の人生も
「いまの苦境を脱する」ということだけで
直近の行動を決めるべきではない。
そんな気がしています。

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