なんの事情も抱えていない人間なんていない。
「現実」を盾にするなら、好きにすればいい。 それをこうしろこうせよ言うつもりはない。
好きにすればいいと思うが、そういう人間とは一緒に取り組めない。
「私、大変じゃない。大変だと思ってやってない」
「わかった。私、やるよ」
この2つの言葉が
強烈に脳裏に焼き付いてます。
前者は、本物。
この根拠は、行動の首尾一貫性。
私は、言葉よりも、行動を信じる。
行動を伴った言動は、強烈。 疑う余地なし。
後者は、もう一度あらためて確かめたいとは思う。
そう思うけど、すくなくともその後の行動を見ている限りは本物に見える。
あれ以上の言葉は要らない。
「わかった。私、やるよ」を超える言葉は要らない。
行動で見せてほしい。それを見たら、信じる。次の行動次第です。
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行動の裏打ちがみられない 「本気で」 「必ず」 「絶対に」 「全力で」 「覚悟」 「なにがなんでも」 は、
信じない。
行動を伴わないうちは
そういう言葉を使う人間は、コトバ系。
それらの言葉がどれほど重いのか、わかってない。
「本気」の意味の重さをわかってない。
「必ず」の意味の重さをわかってない。
「絶対」の意味の重さをわかってない。
「全力」の意味の重さをわかってない。
そして、「覚悟」の意味の重さをわかってない。
意味の重さをわかってない人間が
わかったふりしてんじゃねえ。
そんな人間と、信頼と期待の好循環があるわけねえだろ。
コトバ系呼ばわりされるのが嫌なら、行動しろ。