まず、頭に残っているのは、
「立場を理解する」という言葉。
「その人が置かれている境遇を、理解する」
とい辞書の意味のままでは、ダメ。。
もっと、踏み込まないと。
以下、
とにかくいろいろ書いてみます。
このことに関し、
私の中でずっと違和感として残っているのは、
あの坊主頭が言った 「できることと、できないことをちゃんと理解して、現実的に考えたほうがいい」
といった趣旨の「余計なお世話じゃ!」発言です。
たぶん、このとき私が憤慨したのは、
「自分の能力レベルを考えたほうがいい」と解釈したからだと思う。
しかし、あの言葉、
能力以外の要因を含んでいたのかもしれない。
それが、「立場」です。
いまは、理路整然と書けません。
論理がジャンプしますが、とにかく、いま頭に浮かぶことを忘れないように書き留めます。
私のダメな点。
それは、
「相手が何をできて、何をできないのか」
を丁寧に見極めていないこと。 そういう気がし始めています。
見極めないのは、
おそらく、私の中に、暗黙的前提がある。
その存在があることは確かだと思うのですが、
いまはまだ、それが何なのかハッキリ分かりません。
「この世にできないことは無い」という価値基準ルールなのかな?
「できないのは、能力のせいじゃないん意識の問題。できるようになるべきことが分かっているのだから、意識を叩き直して、できるようにさせればいい。能力の問題ではないのだから、何ができないのかなんぞ、確かめる必要はない」 というルールなのだろうか?
ほかのルールかもしれませんが
自分が知る自分の特質からいって、
上記のどちらかがルールになっている可能性が高いような気がする。
過去の自分自身の経験から言って
私が持っているルールは、後者だと思う。
食品会社でくすぶっていた時の自分から、いまぼ自分に至る変化は
かなり高い確率で、後者のルールが私の中で暗黙的前提になったと言えるのかもしれない。
だから、
口ではそれっぽいこと言っていて、できていない人間に
冷たい態度を取るのではないか。
これは改めるべき。
適切なルールに改めるべき。
そこへ登場するのが
「立場」という言葉。