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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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主眼はあくまで「行動」なのであって、「意識」ではない。

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よくありがちな総括(反省の弁)として、
「・・・・・ という意識が足りなかった」
「・・・ という目的意識を徹底できていなかった」
といった、意識の欠如を述べて終わりというものをみます。

と言っている私自身も
かつてはやってしまっていましたし
いまもやってしまってます。おそらく。

以下、
私見ですが
このことについて思うことがあります。

---

根本原因を「意識」に求めても
おそらく、それは次のPDCAに向けた総括にはならないと思うんです。

意識というものは
見えないし、実体がないから
手の施しようがない。
つまり、処置にならない。PDCAの“A”にはならない。次のPDCAに向かわない。かくして、同じことが繰り返される。

そんな気がしてなりません。
私自身の経験もふまえ、強くそう思います。

ここでいう意識は、
認識、認知、気持ち、心意気などと言い換えても構いません。


じゃあ、どうすんだ!?

正直、困ってしまうのですが
ふと、以下のようなことをアレコレ考えておりました。

(1) 総括すべきはあくまで「行動」
PDCAサイクルで最も重要なことはあくまで目標の達成。Pは、そのための行動を計画すること。取った行動が目標達成に寄与しなかったのなら、その行動の何がダメだったのか。次に何がしかの行動を取る際には、何を改めるべきなのか。総括すべきはあくまで「行動」だと思う。「意識」じゃない。「行動」だと思う。

(2)
取るべき行動の内容によっては、「意識」にも着眼しなければならない場合があるとは思う。意識は行動に現れる。「あらたに考案された方策としての行動は、これまでの価値観の延長線上にはない」、「よほど強く意識していないと、考案された行動は継続しない」、「ひとたび取るべき行動がセットされると、それは何のための行動なのかが置き去りになり、行動すること自体が目的化する悪い癖がある」といった場合、行動のみならず、その行動の背後にある「意識」にも焦点を当てて、「意識」と「行動」をセットで考えていく必要がある。認知行動療法的という感じなのかな。ここで注意すべきは、「主眼はあくまで行動」なのであって、意識ではない。行動を徹底させるための意識の明確化なのであって、意識のための意識ではない。

-----

頭がこんがらがってきてしまったので、いろいろ割愛しますが、

総括を
意識に求めるのは適切ではないと思う。
正確には、「意識だけに求めるのは適切ではない」と思います。

意識の持ち様だけで目標が達成されるのならいいのですが
残念ながら、意識は目標達成の直接要因ではない。
間接要因。前提。与件。

今回取った行動の
何がダメだったのか。
今後取るべき行動は何か。

そのように、
目標達成に寄与しなかった行動(問題視すべき行動)を具体的に挙げ、その原因を意識を含めて掘下げ、今後の取るべき行動を示さなければ、総括とは言わないと思うんです。

さらに、
そもそも前回のPDCAで設定していた目標は適切だったのか?
それは「望ましい結果」であって、そのような望ましい結果を達成するためのプロセス上の何かを目標として設定すべきだったのではないか?
など、目標再考も必要な場合もあろうかと思います。

その際の拠り所は 「目的」。
〔目的-目標-行動〕 という大きな枠組みのなかで

● 目標が達成されなかった原因は何か
● 取った行動の何が問題か
● 今後、行動をどう改めるべきか
● 達成すべき目標は、現行のままでよいか
● 今後、取るべき行動は何か

ということを熟考し、次のPDCAに備えることが総括なのではないかと思うのです。
その熟考の過程で、意識を取り扱うことは任意ですが
すくなくとも、意識だけに焦点を当てた総括には意味を感じません。

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