特別な思い出は、性格の島を補強していく。性格の島が、人を形づくる。
特別な思い出がケースから外れると、性格の島が、機能停止する。性格の島が機能停止すると、人は抜け殻のようになる。
人の司令部にいるエージェントは、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ。カナシミが、ヨロコビが作った記憶に触れると、回想が起きる。回想は、人に性格の島を取り戻させる。カナシミが正気を取り戻させる。
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カナシミは悲しいことに反応する。カナシミは悲しい話に耳を傾ける。カナシミ本人としては話を聞いているだけ。しかし、話を聞いてもらった側は救われる。
それが「共感」。カナシミは、エージェントの中で、共感できる唯一の存在。共感は、人に力を与える。
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子供の司令部には、エージェントの中央がヨロコビ。母親の司令部中央は、カナシミ。父親の司令部中央は、イカリ。
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以上が、映画「インサイドヘッド」を見ながらスマホにメモしたことです。この映画は、認知心理学バリバリでほんとにびっくりしました。マルチエージェントモデルそのまんまですよね。映画の早い段階で「長期貯蔵庫」という字幕を見た時、思わずハッとなって見入ってしまいました。
今年4月、
あるプロジェクトでご一緒した女性メンバーの方から、「女性は、共感で生きる生き物」と伺ったことがあります。
その言葉がとても印象的で、「それは、どういうことなんだろう?」と思って、そのあとグーグルで調べてみたり、このフレーズに関連する本を読み漁りました。
映画「インサイドヘッド」では、大人の女性としての母親の司令部に、カナシミが中央にいました。カナシミは、エージェントのなかで唯一の共感できる存在。人に正気を取り戻させ、人に力を与える存在。
まだ頭が整理できないのですが、
カナシミが過度に中央を陣取ると人はまいってしまうと思いますからそれはそれで不具合があるような気がしますが、しかし、人が人として生きる上でカナシミは必要な存在なのだろう。そんな気がしました。カナシミが働くと、そのとき人は悲しい気持ちになるけど、でもそれはあくまで「そのとき」のこと。長い目で見ると、カナシミは、その人間が自分を見失うことを防ぎ、他人に優しくなることを可能にする。カナシミは必要な存在に違いない。
気になるのは、大人の男性として描かれる父親の司令部は、イカリが中央を陣取っていたこと。母親の司令部中央はカナシミ、父親の司令部中央はイカリ。この設定はたまたまなのかな?それとも、理論的にそういうものなのかな?非常に気になりました。
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自分自身を振り返ると、
この15ヶ月間は、私の司令部ではカナシミばっかりが働いていたような気がします。
それまでは、ヨロコビとイカリが中央を争っていたような気がします。椎骨動脈解離が発覚した2010年11月から翌年7月23日までの9ヶ月間を除くと、カナシミが司令部中央にいたことはほとんどなかったと思います。ある瞬間やごく短い間なら、カナシミが中央にいたことはあったと思います。でも、すこし時間が経てば、いつの間にかカナシミはわきに追いやられ、中央にいるのはヨロコビとイカリだったんだと思います。
15ヶ月前まで、私は著しく共感力を欠いていた。そう思います。この15ヶ月間の目を覆いたくなる現実を引き起こした最大の原因は、共感力の欠如にあった。そんなことほんとは認めたくないです。ほんとは。。しかし、そう認めざるをえません。
「いまは共感力あります」ということではありません。いま言えることは、共感力の源となるカナシミが自分のなかでようやく存在感を増したというだけです。いまは、カナシミ培養中というだけです。
15ヶ月間をかけて培養中の私のなかのカナシミが、人の気持ちに自分の気持ちを重ね合わせることができることに繋がれば。そう願いたいです。
特別な思い出がケースから外れると、性格の島が、機能停止する。性格の島が機能停止すると、人は抜け殻のようになる。
人の司令部にいるエージェントは、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ。カナシミが、ヨロコビが作った記憶に触れると、回想が起きる。回想は、人に性格の島を取り戻させる。カナシミが正気を取り戻させる。
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カナシミは悲しいことに反応する。カナシミは悲しい話に耳を傾ける。カナシミ本人としては話を聞いているだけ。しかし、話を聞いてもらった側は救われる。
それが「共感」。カナシミは、エージェントの中で、共感できる唯一の存在。共感は、人に力を与える。
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子供の司令部には、エージェントの中央がヨロコビ。母親の司令部中央は、カナシミ。父親の司令部中央は、イカリ。
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以上が、映画「インサイドヘッド」を見ながらスマホにメモしたことです。この映画は、認知心理学バリバリでほんとにびっくりしました。マルチエージェントモデルそのまんまですよね。映画の早い段階で「長期貯蔵庫」という字幕を見た時、思わずハッとなって見入ってしまいました。
今年4月、
あるプロジェクトでご一緒した女性メンバーの方から、「女性は、共感で生きる生き物」と伺ったことがあります。
その言葉がとても印象的で、「それは、どういうことなんだろう?」と思って、そのあとグーグルで調べてみたり、このフレーズに関連する本を読み漁りました。
映画「インサイドヘッド」では、大人の女性としての母親の司令部に、カナシミが中央にいました。カナシミは、エージェントのなかで唯一の共感できる存在。人に正気を取り戻させ、人に力を与える存在。
まだ頭が整理できないのですが、
カナシミが過度に中央を陣取ると人はまいってしまうと思いますからそれはそれで不具合があるような気がしますが、しかし、人が人として生きる上でカナシミは必要な存在なのだろう。そんな気がしました。カナシミが働くと、そのとき人は悲しい気持ちになるけど、でもそれはあくまで「そのとき」のこと。長い目で見ると、カナシミは、その人間が自分を見失うことを防ぎ、他人に優しくなることを可能にする。カナシミは必要な存在に違いない。
気になるのは、大人の男性として描かれる父親の司令部は、イカリが中央を陣取っていたこと。母親の司令部中央はカナシミ、父親の司令部中央はイカリ。この設定はたまたまなのかな?それとも、理論的にそういうものなのかな?非常に気になりました。
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自分自身を振り返ると、
この15ヶ月間は、私の司令部ではカナシミばっかりが働いていたような気がします。
それまでは、ヨロコビとイカリが中央を争っていたような気がします。椎骨動脈解離が発覚した2010年11月から翌年7月23日までの9ヶ月間を除くと、カナシミが司令部中央にいたことはほとんどなかったと思います。ある瞬間やごく短い間なら、カナシミが中央にいたことはあったと思います。でも、すこし時間が経てば、いつの間にかカナシミはわきに追いやられ、中央にいるのはヨロコビとイカリだったんだと思います。
15ヶ月前まで、私は著しく共感力を欠いていた。そう思います。この15ヶ月間の目を覆いたくなる現実を引き起こした最大の原因は、共感力の欠如にあった。そんなことほんとは認めたくないです。ほんとは。。しかし、そう認めざるをえません。
「いまは共感力あります」ということではありません。いま言えることは、共感力の源となるカナシミが自分のなかでようやく存在感を増したというだけです。いまは、カナシミ培養中というだけです。
15ヶ月間をかけて培養中の私のなかのカナシミが、人の気持ちに自分の気持ちを重ね合わせることができることに繋がれば。そう願いたいです。