翌2010年3月28日、
ディズニーシーに行ったんです。
その前日の、8月27日は、
我々のホームグラウンドだった日本MOT学会の 記念すべき第1回学会発表でした。
それまでの3年半、
さんざん大変な思いをさせてしまった池田と奈良に「あの苦労はダテじゃなかったんだ。俺たちがやってきたことの価値がどれだけ大きかったか、指導教官が自ら示す」という一心で、二人を前に全身全霊で臨みました。
学会発表を終え、東工大 田町キャンパスを後にして田町駅に向かい、上り階段の前で二人から突然のプレゼントで思い出アルバムをもらい、
感無量でした。
その場で「そうだ。明日、ディズニーに行こう」と言い、突然の卒業旅行。
ディズニーは、
広尾高校の卒業のとき以来でした。
池田と奈良と過ごす
最後の、ほんとに最後の日を締めくくったのは、シンドバッドの冒険でした。
一緒に過ごす最後の日の
最後のアトラクションのシンドバッドの冒険で、最後に聞いたナレーションは、
一緒に冒険してくれてありがとう。
これからは自分の人生を生きてね。
だった記憶があります。
しんみりした気持ちは、
6年前の、あの日以来かな。。
松村喜弘君、
いままで6年間、
一緒に冒険してくれて、本当にありがとう。
このさき一生、
忘れません。
ディズニーシーに行ったんです。
その前日の、8月27日は、
我々のホームグラウンドだった日本MOT学会の 記念すべき第1回学会発表でした。
それまでの3年半、
さんざん大変な思いをさせてしまった池田と奈良に「あの苦労はダテじゃなかったんだ。俺たちがやってきたことの価値がどれだけ大きかったか、指導教官が自ら示す」という一心で、二人を前に全身全霊で臨みました。
学会発表を終え、東工大 田町キャンパスを後にして田町駅に向かい、上り階段の前で二人から突然のプレゼントで思い出アルバムをもらい、
感無量でした。
その場で「そうだ。明日、ディズニーに行こう」と言い、突然の卒業旅行。
ディズニーは、
広尾高校の卒業のとき以来でした。
池田と奈良と過ごす
最後の、ほんとに最後の日を締めくくったのは、シンドバッドの冒険でした。
一緒に過ごす最後の日の
最後のアトラクションのシンドバッドの冒険で、最後に聞いたナレーションは、
一緒に冒険してくれてありがとう。
これからは自分の人生を生きてね。
だった記憶があります。
しんみりした気持ちは、
6年前の、あの日以来かな。。
松村喜弘君、
いままで6年間、
一緒に冒険してくれて、本当にありがとう。
このさき一生、
忘れません。