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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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独り言。

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このあいだ、研究者データベースの内容を更新したという話をしました。でも、そのときの投稿は、取組テーマの「現在」と「これから」のことしか書かなかった。「過去」のことは書きませんでした。

気持ちの整理がついていなかったというか、12月28日のご挨拶が終わってから書きたかったんです。

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さきほど投稿したとおり、
部屋の荷物の運び出しを完了しました。

2015年3月下旬にここに引っ越してきた時に運び込んだ山のような段ボールは、一度も開けることなく1年9カ月も放置したままでした。あまりの段ボールの多さに、引越先から「まさかこれらすべてを持ち込むわけじゃあるまいな」と釘を刺され(?)、捨てまくるべく、すべての段ボールを開けて中身を確認しました。

開けてみてビックリ仰天 (@_@)
この大学に来てからの制作物はもちろん、前職時代の企画書類もどっさり残ってました。なんと、新入社員に作ったシチズン・インディペンデントの企画書までありました。余談ですが、学生時代の劇団K-modeの脚本や、カフェバーで吹きまくっていたサックスの譜面まで出てきました。あはは。

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私が広告会社に入社したのは1995年。当時の広告業界は、ブランド論が一世を風靡していました。入りたくて入りたくてたまらなかった広告業界。そこで見聞きすること、経験することはすべてが刺激的で楽しく、当時のブランド論にあっという間にハマっていきました。そして入社1年目にして、ブランド価値設計の在り方に携わる機会をいただきました。典型的な「好きこそものの上手なれ」ですね。

そして、もう一つ、
認知心理学が広告業界に猛威(?)を振るってました。当時、「広告情報処理」という分野が花盛りでした。学生時代にまさにその認知心理学を学んでいた私はほんとうに幸運でした。入社するなり、いきなりその分野について社内で最も詳しい一人でしたから。新人のときからいくつもの案件に抜擢していただいたのは、これと無関係ではないと思います。

入社後の1カ月研修を終え、GW明けにマーケに配属。配属してすぐさま起用された案件は、Ballyというファッションブランドのプロモーション案件でしたっけ。その企画書が常務の目に留まり、その後に巡り巡って、入社4年後に社会人博士として母校に復学することを常務が許可してくれたわけですから、よくよく考えますと、右も左も分からぬ配属間もない素人を起用してくれた当時の営業部長Mさんにはほんとに感謝感謝ですね。ありがとうございました。

マーケ人としての私の礎は、やはり、シチズン・インディペンデント(1481010)です。これについては、このブログの過去の投稿でも何度も書いてますね (;^ω^) 今月、部屋を引き払おうと全ての書類を整理していたら、インディペンデントの企画書類が出てきて、めっちゃ興奮しました。懐かしかった (≧▽≦) 嬉しかった \(^o^)/ これは永久保存だ!

さきほど学生時代に認知心理学を学んでいたと書きましたが、私が所属していた研究室は正確には「人間工学」。人間工学という分野は認知心理学と関わりますが、認知心理学と人間工学の関係は「理学」と「工学」であり、別物です。ゼミでリンゼイ・ノーマンの「情報処理心理学」を輪講で読みましたけど、「認知心理学」と銘打った勉強は授業だけです。

ただ、ただの授業とは言っても、認知心理学がめちゃめちゃ面白くて、大岡山からはるばる長津田まで通ってました。認知心理学特論は長津田キャンパスの開講だったのです。その通い方が結構エゲつけなくて、、、午前中の2コマを大岡山で受講し、昼休みをぶっつぶして長津田に移動しても、どうしても3コマ目に遅刻するんです。遠すぎんだよ!まったく!! 毎週火曜日は昼食を取る時間すらありませんでした。

あれ?
何の話をしてるん??
いかんいかん。

話を戻します。すみません。。

面白すぎて熱中していたとはいえ、まさか学生時代に授業で勉強していたことが実務でこんなに役立つことになるとは、在学時代はこれっぽっちも考えてませんでした。

さきほども書いたとおり、当時の広告会社で認知心理学は花盛り。いきなり大流行したので、社内にそれを専門にした人間はいない(← たぶん)

そこへ、私が加入。昔から[原理・原則 ←→ 事象]を行き来するのが得意だった私は、学んだことをありとあらゆる広告コミュニケーション上の事象に置き換え、社内の方々に面白がっていただいたような気がします。そうしているうちに、マーケティングプランナーとしてマーケに配属されたのですが、入社2年目からプランナーと研究者を兼務するという異例の事態になりました。

入社4年目の1998年、
当社独自のブランド管理システム「BQC:Brand Quality Control」が完成し、対外的に発表。2000年ごろには、認知心理学の理論的枠組みゴリゴリに適用した広告コミュニケーション診断モデル「K-LINE」を完成。このときは社会人博士課程に復学中でした。復学中といっても、会社にもちゃんちゃん行ってました。

いやいやぁ、
当時はほんとに楽しかったなー (← いまは楽しくないと言っているのではありません。念のため。)

考えたら考えただけ成果になり、一つ成果が出ると、次にさらに大きな仕事に携わる機会がもたらされ、その好循環が楽しくて楽しくてたまりませんでした。

ここ1カ月間、現存する全ての書類を整理したら、当時の好循環の真っ只中の記録がどっさり出てきました。自分で書いたプレゼンシートを、新鮮な気持ちで読み耽ってしまいました。だから、片付けに1カ月も要したともいえますが。汗汗

そっか、俺ってそんなに前から研究者をやっていたのかあ。そんな思いから、研究者データベースを更新したんです。いま取り組んでいる研究テーマを再編成しましたが、データベース更新のきっかけは過去のテーマを追記することでした。ということで、この間の投稿で話した「現テーマ」に、過去の2テーマを加えました。それが、以下のラインナップです。

↓↓↓

【研究経歴】
・ コンセプト主導型オープンイノベーションの推進 (研究期間: 2016年04月 - 現在)
・ 事業ドメイン・ブランディングの手続き (研究期間: 2014年07月 - 現在)
・ 組織開発(インターナル・マーケティング)の推進方法 (研究期間: 2013年10月 - 現在)
・ 事業創造人財の育成方法 (研究期間: 2012年04月 - 現在)
・ イノベーション思考技術の確立と啓蒙 (研究期間: 2003年04月 - 現在)
・ インターナル・ブランディングの手続き (研究期間: 2006年04月 - 2012年03月)
・ ブランドロイヤルティ形成のメカニズム解明 (研究期間: 2008年10月 - 2012年03月)
・ ブランド情報処理のメカニズム解明 (研究期間: 1998年10月 - 2007年12月)
・ ブランド価値設計手法の確立と啓蒙 (研究期間: 1995年10月 - 2007年12月)

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一番下の「ブランド価値設計手法の確立と啓蒙」、下から2番目の「ブランド情報処理のメカニズム解明」が、今回の片づけがきっかけで追記したものです。

それから、今年3月に学会誌に掲載されたばかりではありますが、よくよく考えると研究そのものは既に終わっているため、「ブランドロイヤルティ形成のメカニズム解明」も過去のものにしました。さらに、「インターナル・ブランディングの手続き」も。インターナル・マーケティングはZ社との取組みが終わった年度をもって終わり。私から見て、インターナル・ブランディングは、インターナル・マーケティングに含まれるものであり、インターナル・ブランディングはそれそれものがピンで立つべきものではないと考え、「インターナル・ブランディングの手続き」は過去のものとして、その後、新たに「組織開発(インターナル・マーケティング)の推進方法」をテーマとして立てる記載に修正しました。インターナル・マーケティングは論者によって定義が異なるのですが、私は「組織コミュニケーションという観点からみた組織開発」として位置付けています。

話を戻します。

すべての書類を片付けていて、「ブランド価値設計手法の確立と啓蒙」と「ブランド情報処理のメカニズム解明」の2テーマに関連する書類で最も多かったのが、茅場町です。あらためて読み返して、私がいかに茅場町の仕事に熱心に取り組んでいたか、あらためて実感しました。「熱心」というか、「執念」かな? しかも、常軌を逸した域に達してる。「ここまでやるか!? いろんな意味で、すげーな」と、まるで他人事のようにびっくりしました。池田と奈良によるゴール・プラン構造分析は芸術の域だな。あれは。

これら2テーマの終了時期は、いずれも2007年12月。それは、池田と奈良と一緒に臨んだ茅場町案件の最後を迎えた時です。不本意な結果でした。その日の夜、二人の前で思わず悔し涙を流したことを今でも覚えています。「もう一度!」という気持ちはありましたが、結局、同社との取組みはこの日をもって終わりました。あれが最後だったと思うと、胸が苦しくなります。

同社のなかでほんとにほんとにお世話になった方がいます。上記の私の同社取組みのすべてを指揮された方です。その方が2016年をもってご定年されます。最後のご出勤日が12月28日でした。

たくさんの思いがあり、それがあまりにありすぎて、それでこの間の投稿しか書けませんでした。簡単に書けるわけないんです。同社の存在がなければ、そして、その方の存在がなければ、いまの私は決してありませんでした。それなのに、あの2007年12月が最後になってしまったことは、このさきずっと、心残りになると思います。

部屋をいよいよ引き払わなければならなくなり、のべ1ヶ月以上をかけて、山のような段ボールを片付けていたところ、当時の茅場町書類がたっくさん出てきました。その一連の取組みのすべてを指揮してくださった方が、ご定年による最後のご出社が12月28日。当時の書類を通じて、当時の感覚を鮮明に取り戻した状態で、ご挨拶に伺いました。幾重にも折り重なった思いを胸にご挨拶に伺いました。抱く感情が複雑じゃないはずがない。12月28日の茅場町訪問をもって、私の2016年は終わりました。

今年1月8日に再挑戦の機会をいただいておきながら、なにもできないまま12月28日を迎えてしまったことが、悔やまれます。ほんとうに申し訳ございません。

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上記で終えると気持ちが沈んでしまうため、あえてアゲアゲ調子で締めたいと思います。

今後、
自分の興味関心事が「個別商品の在り方」に向かうことはないと思います。複数のハードとソフトを束ねた「事業全体の在り方」が今の最大の関心事であり、そして、それを高度実現するための組織開発と人財育成に取組テーマの守備範囲が移行しています。そして今後は、1社単独による価値創造に留まらず、複数社の協業による価値創造に焦点が広がっていくは間違いないと思います。

機能的差別化から感情的差別に替わろうが、個別商品で戦っているかぎり、常にコモディティ化の危機がすぐそこにいます。脱コモディティ化の持続性にこだわるのなら、複数のハードとソフトを束ねたレベルで挑んでいかにゃ埒が明かない。

上記の研究経歴の移り変わりは、私にとって必然です。そう変わるべくして変わった。そう言えます。ここ最近、このブログで何度も自分の研究経歴について書いていますが、自分の研究テーマの変遷に結構納得しています。気に入っています。

それもこれも、入社した時にブランド論と認知心理学が花盛りだったことがすべてだった。そういっても過言ではない気がします。ほんとに幸運でした。巡り合わせって、あるんですね。偶然以外のなにものでもないだけに、この偶然にほんと感謝してます。

詳細は次以降の投稿で詳述しますが、
2017年、私は新たな局面を迎えます。2017年初動の予定は象徴的です。年明けが今からとっても楽しみです。

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