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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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目的と手段の逆転

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この間、「嫌われる勇気」というドラマを見ました。

なになに?アドラーみたいなタイトルだ!?
と思って観てみたら、ほんとにアドラー心理学でびっくりしました (◎_◎;)

あの本、途中で読むのをやめちゃったし、NHK番組やウェブサイト検索程度のことしか分かっておらず、だから何も分かったようなこと言えないのですが、

そんな中、
「人生の軸となる価値観」という言葉の重さ、深さを感じました。

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いつ頃からか、私は「本質」という言葉を使わなくなりました。軽々しく使える言葉じゃない。「この問題の本質は、・・・」というフレーズはまったく使わなくなりました。「真の」もそう。「真の顧客ニーズ」は私の中で死語です。

そんな私の前に、アドラー心理学が現れ、混乱度MAXです。

「手段の目的化」は分かります。よくありますよね。目的だと思っていたことは、実は手段だった。目的はもっと上位にあった。これもわかる。

ところが、
Aが目的で、Bが手段だと思っていたら、逆だった。Bが目的で、Aが手段だった。そういう目的と手段の逆転がそこら中に存在しているとしたら、、、という目で見ると、もはや頭がウニウニ状態でワケがわからなくなってしまいます。

私のなかの最大の混乱は、
「A、だからB」と「B、だからA」のどちらも、論理で表すことができること。つまり、どちらも理屈にできること。これではどちらが正しいのか理屈上で判断できない。

AとBの二者関係だけに囚われると、因果を取り違えるということですよね。どちらが因で、どちらが果か?それは、前提をどう置くか次第ということなのでしょうか?


過度な競合分析、
安易な顧客志向。
そんなものに答えを求めたらあかん。
答えは自らの心のなかにあるんじゃ!

これを掲げるなら、
アドラー心理学の考えを心得る必要があると思う。

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