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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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拾って、繋げて、生む。

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徹底できておらず、
途上なのですが、

WSで「指導する」という立場を捨てるようにしています。「教える」と「教えられる」の関係では、やり取りしていても新しい見解が生まれない。

「材料を放つ」と「材料を拾う」の関係がいい。メンバーたちが放った材料を拾い集め、それらを繋げて、新しい見解を生む。それを遊戯三昧しようと努めています。

拾って、繋げて、生む。
それがファシリテーションの極意ではないかと思うようになりました。すべてを拾うことは難しく、パスボールが多いです。拾っただけで、繋げることができていない材料も多い。

生み出した新しい見解の数は、いわば管理点。この管理尺度を高めるために、「拾った数」と「繋げた数」をWS進行上の点検点にしています。

拾うためには、放ってもらわないと始まらない。放ってもらうためには、心理的安全性が欠かせない。「正しいことを言わなきゃ」という圧力下では、怖くて自由に放てない。

怖くて自由に放てない経験は、私自身がたくさん経験しています。学生の時に履修した社会学の授業で、意見をなかなか言い出さない自分たちに担当教官が「君たちには主張がないのか!」と言われた時の複雑な気持ちが原体験かな。いや、もっとはるか前の幼少時代に、親戚の叔母に勉強をみてもらっていた時の、叔母が期待することを言えなかった時の叔母のため息が原体験かな。

なにもないわけじゃない。
窮屈で、あるいは怖くて言えなかった。
勇気を出して何かを言って、ため息つかれたら、いよいよ何も言えなくなる。

WSではそういう状況を作りたくない。そう強く思うようになったのは、つい3年前であり、自分自身の原体験が長いこと生かされていませんでした。お恥ずかしいかぎりです。

3年前と時期を記憶しているのは、2013年から16年にかけて苦い経験が折り重なり、あまりの苦しさで「なぜ?」を辿っていたら、それらが共通の原因で起きたことかもしれないと思ったから。悲しいことに、それが現実です。

「失敗から学ぶ」と言えば聞こえはいいですが、話になりません。そんなに苦しかったのならいまはできているのかというと、激減してはいますが、ここ1年を振り返っても件数はともかく依然として発生してます。ますます話になりません。

心理的安全性が確保された上で、
拾って、繋いで、生む。
これを徹底できるようになりたいです。


今月下旬に記念すべき第1回WSでは、キャッチャーミットをはめて、マスクをかぶって、自他に「徹底的に拾うぞ!」という姿勢を見える化して臨もうかな。

そういう問題じゃないですよね。。それ、ただの仮装じゃん。

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