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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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迷っている人間には、踏み込まない。吸収できない人間には、関わらない。

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「投資」と「コスト」は紙一重。
やっている側の行使内容は変わらない。
投資もコストも、「時間」と「手間暇(労力)」と「カネ」をかけていることには変わらない。

つまり、「時間」と「手間暇(労力)」と「カネ」をかけたコトは
すべて「投資」あるいは「費用」のどちらかに該当する。

では、
「投資」になるのか、それとも「費用」になるのか。
どちらの意味づけになるかは、相手の吸収力の質と量で決まる。

どこかに連れていってあげた。
なにかを経験させてあげた。

そういうことがあったにもかかわらず
反応がない場合、
それは「費用」でしかない。

こちらとしてはね、
なにかきっかけを与えて
それが何かのベクトルを新たに生むことを期待しているからこそ
外部刺激を与えようとしているわけです。

無反応は、
ほんと無駄。
というか、「悪」です。 win-winの真逆。 お互い迷惑な話。結論は「ご縁がなかった」ということ。

迷っている人間、
自分の既存の興味集合にしか反応できない人間、
包括的なデッカイ反応を延々と繰り返す人間、
同じ指摘を繰り返している人間、

そういう人間には、
なんとも投資し甲斐がない。
「コスト」でしかない。

資源は有限なので
そういう人間とは関わらないことにします。

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