「共創」の関係のほかに、
どれくらいの種類の関係があるんだろう?
「支援」の関係?
たしかにそういうのはありそうですね。
「便利」の関係というのは?
「便利」というのは、形容詞ですね。
「 」 の中は
動詞が相応しいのかな?
ということなら、
「便利」の関係という言い方はないですね。
「共感」の関係というのはどうかな?
サ変はありか?
まあ、「共創する」をOKとするなら、、
「共感する」アリですよね。
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存続、功利、感情
は、デカすぎて的確ではない。
これらは、中区分ラベルにはなるかもしれないけど、
二者の関係の具体的な様を表すレベルとしては相応しくないような気がする。
知りたいのは、
小区分。 二者の関係の具体的な様のバリエーションを知りたい。
これって分野的には社会心理なのかな?
知りたいなー。
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2014/11/28(金) 午前 0:05
「書くことがあるはず」
自分の成長を自ら望むのなら、
自分に機会をもたらす人に対して
自分がどれだけ吸収力があるのかを
自らアピールしなくてどうすんだ。
重要なのは
1項目に対して延々と書き綴ることよりも
今日はいくつの項目を吸収したのか
という「量」に重きを置くべき。
なにか勘違いしているようだが
訓練しなければ「質」は上がらないのだよ。
質を上げる前にやらなければならないことは「量」だ。
「質」を上げるには、まず「量」なんだよ。
わかってる?
昨日は
パッと思うだけでも少なくとも4つは感じ取るべきことがあったはず。
誰一人
そのうちの一つも触れていないことにガッカリです。
「感性」ちゅうのは
外部刺激をどれだけ取り入れることができるかを表すのだが
果たして分かっているのだろうか?
なにも感じ取れないのなら
それはそれで仕方ないと思う。 鈍感なのだから。
「性能の悪いセンサーに、センサーの精度を上げろ」と言ったところで、意味はないと思う。
センシングできない人間に新たな刺激を提供したところで、馬耳東風。
提供する側がバカバカしい思いをするので、
そんな思いをするくらいなら、いっそ、別のセンサーを探したほうがいい。
そう思うのは、私だけなのだろうか?
吸収力の有無と程度を
相手に表明するのは
機会を与えてもらう側の責務だと思いますよ。
これをもって最後通告とします。
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2014/11/28(金) 午前 0:17
「迷っている人間には、踏み込まない。吸収できない人間には、関わらない」
「投資」と「コスト」は紙一重。
やっている側の行使内容は変わらない。
投資もコストも、「時間」と「手間暇(労力)」と「カネ」をかけていることには変わらない。
つまり、「時間」と「手間暇(労力)」と「カネ」をかけたコトは
すべて「投資」あるいは「費用」のどちらかに該当する。
では、
「投資」になるのか、それとも「費用」になるのか。
どちらの意味づけになるかは、相手の吸収力の質と量で決まる。
どこかに連れていってあげた。
なにかを経験させてあげた。
そういうことがあったにもかかわらず
反応がない場合、
それは「費用」でしかない。
こちらとしてはね、
なにかきっかけを与えて
それが何かのベクトルを新たに生むことを期待しているからこそ
外部刺激を与えようとしているわけです。
無反応は、
ほんと無駄。
というか、「悪」です。 win-winの真逆。 お互い迷惑な話。結論は「ご縁がなかった」ということ。
迷っている人間、
自分の既存の興味集合にしか反応できない人間、
包括的なデッカイ反応を延々と繰り返す人間、
同じ指摘を繰り返している人間、
そういう人間には、
なんとも投資し甲斐がない。
「コスト」でしかない。
資源は有限なので
そういう人間とは関わらないことにします。
2014/11/28(金) 午前 0:46
「わかってんの?」
ひとまずは「質」より「量」だと言っているのだから
表明する際は、
「項番」を立てないと
一つになってしまうんだけど、
わかってる??
あるいは、
一つ書けばいいと思ってんの?
項番の数が
「量」を表す品質要素なんだけどなあ。
そこまで手取り足取りしてやらないと
わからんのか?
いちいち言わないとわからんなら
やらんでええ。
めんどくさいな。まったく。
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2014/11/29(土) 午前 0:47
「私自身の限界。ほんと申し訳ない」
「共創」という関係は無理でも
別の関係があると思う。
何かしてあげられることはあると思う。
なにかしてあげたいと思う。
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