Quantcast
Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3957

松村と過ごした最後の一年。

$
0
0
松村と過ごした最後の一年を
ひとつの投稿にまとめました。
何度読み返しても、胸が苦しくなります。


2013/12/31(火) 午前 0:55
『年が明けたら3月末までが最後の勝負』

あらためて数えてみたのですが、あと90日なのですね。
1月1日から3月31日までの日数です。残りがいよいよ短くなってしまいました。

-----
2013/12/31(火) 午後 11:15
『来年の抱負。3月末までの90日間を全力で走る。必ず完走する。必ず。』

昨年大晦日のブログ投稿を読み返しました。願い叶わず、虚しさを感じる箇所が複数あります。残念です。ほんとうに。

しかし、その一方で、大きな前進もありました。今年1月から3月の、イノベーション研究会。そして11月の、4時間超のクオリティフォーラム。松村との約束は「完全形」として果たされようとしています。すべては来年3月までの勝負です。松村と一緒に過ごした3年半は、ついに幕を閉じます。最高のエンディングを。いま思うことは、これしかありません。4月以降のことは、4月に入ってから考えます。それまでは、松村との約束を叶えることにすべて集中します。

松村、3年半にわたる共創は、あと90日だ。 泣いても笑っても、90日しかない。
最高の結末にしような。 これが最後の約束だ。一緒に走り抜いてくれ。頼む。

完走しよう。必ず。

-----
2013/12/31(火) 午後 11:57
『3月末、区切りをつける。そして、4月以降は新たなテーマに着手する』

先ほどの投稿のとおり、理想追求型目標創造のフレーム確立は来年3月末までに必ず区切りをつけます。これは宣誓です。自らを追い込んで必ず完遂させます。

そして、新年度に入ったら、加藤研究室として新境地を切り拓くべく、新たなテーマに着手します。いくつかありますが、最大の重点テーマは『人材育成』。広告会社時代はそんなことに自分が首を突っ込むなんてまったく考えていませんでしたが、魅力的な製品・サービスの創造には、組織マネジメントが避けられず、さらに、行き着く先は、人材育成にまで踏み込まないと最高レベルに達しない。今年最大の『変化点の予兆』は、人材育成の重要性への着目だったのではないか。そんな気がします。

人生は何歳になっても『挑戦』ですね。
みなさま、よいお年を。

-----
2014/1/21(火) 午後 10:43
『年度末の最後の最後まで、予定がガチガチに組まれました』

やれなくはない。 しかし、かなり激しい。 ならば、やめるか? やるかやらぬか。

やらないわけがない。

やらないわけにはいかない。やらなければいけない。
でも、そんな義務感めいたものではなく、やりたいのです。 やりきりたい。
一緒に過ごした証をどうしても形に残したいのです。

これは
本気の勝負。

<解説>
この日、私たちが投稿した論文2本の査読結果が学会から届きました。2本とも大変厳しい結果でした。再投稿日は、2月6日。それぞれの論文に「要修正事項」がたっくさんあり、普通に考えてこれらすべての項目に対応するのは至極困難な内容でした。

-----
2014/1/24(金) 午前 4:15
『何も考えられない』

4時。 ずっと凍りついたままです。 思考停止。 何も考えられません。

<解説>
この日、松村に大変なことが起きました。とても論文作業を進める状況ではなくなりました。ただでさえ窮地に追い込まれているところへ、相棒が大変なことになってしまい、諦めの境地になってしまいました。

-----
2014/1/25(土) 午後 5:59
『抑えていた感情』

さきほど、学生から届いたメールを見て、
ここ2日間、抑えていた様々な感情が一気に噴き出しました。
嬉しかった。 心強く感じました。頼もしく思いました。

<解説>
この日、松村の穴を埋めようと、研究室学生が立ち上がってくれました。とても嬉しかった。

-----
2014/1/30(木) 午前 9:27
『落ち着きません。胸が苦しいです』

今日、正確な診断の結果が出ます。冷静を装っているつもりではいるのですが、装ってるだけで冷静ではありません。装うことすらできていないかもしれません。本人がいまどういう心境なのかを考えると、胸が苦しくなります。

<解説>
この日の診断結果は、前回と変わらず。非常に苦しい状況は好転しませんでした。

-----
2014/1/31(金) 午前 0:40
『明らかに非常事態』

いままでそんなことしたことないのですが、恨みっこなしで責任を等分にしました。もはや、「吉」も「凶」も無い。いま明らかに非常事態です。タイムリミットは、2月6日 午前11:55。泣こうが、笑おうが、叫ぼうが、あと1週間だけ。

結果がどうだろうが、1週間後は各人がいろいろなことを感じるはず。

<解説>
この日、研究室総出で臨むことが決まりました。松村も無理を押して、協調することになりました。ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

-----
2014/2/2(日) 午後 11:06
『がんばれ俺たち!』

最終期限は
2月6日 11時55分

しかし、あろうことかこの一大事の緊急事態中に歯が抜けてしまい、時間の経過とともに痛みが増してます。

優先すべきは、提出完了。 いまは、これしか考えてません。提出を最優先。 とにかく提出まで痛いのを我慢します。そのかわり・・・ もし、ほんのすこしでも早く提出できたなら、歯医者に行きたい ← 切実。。

<解説>
この大事な時期に、なんと歯が抜けてしまいました。行きつけの歯医者は東京です。当面、東京に行く予定はありません。この日からしばらく、出血したまま耐えました。それくらい、尋常ではない状況だったのです。

-----
2014/2/4(火) 午前 0:49
『明日明後日は、恐怖の徹夜警報か!?』

残り58時間ほどになりました。この感覚、シビれます。

安藤、そして今日は丹羽。恐らく、私が知らないだけで大野にも無理がかかっていると思います。そして、ほかならぬ松村にも。

泣いても笑っても、あと50時間強。
みんなの思いをのせて、なにがなんでも通さなければなりません。

とつぜん歯が抜けてけっこう痛いのですが、みんな頑張っているのに歯が痛いなんて言ってられないので、とにかくこれが終わってからにします。

-----
2014/2/21(金) 午後 10:48
『この論文はなにがなんでも通さねばならん』

みんなの思いをのせて、この論文は絶対に通さなければならない。
あと3日。 こんどこそ、「もっとこうすればよかった」と悔いることなく、やりきる。

<解説>
2月20日に再投稿論文の査読結果が届きました。論文2本ともに再々投稿。期限は、2月26日。
前回(2月6日期限)の再投稿のときは、論文1に力を入れ過ぎて、もうひとつの論文2を修正できないまま初校とほとんど変わらぬ内容で再投稿してしまいました。上記の「もっとこうすればよかった」は、ほとんどまったく修正しないまま再投稿してしまった論文2を指しています。

-----
2014/2/26(水) 午前 6:16
『現在、朝6時。すでに感覚は麻痺状態』

ついに提出期限日を迎えました。
肝心の提出物は・・・・ 一つはほぼ完成したのですが、もう一つは完成にはちょっと遠い(泣)

いま、研究室は地獄絵のようになってます。多少つねられても痛いと思わないほど、感覚が麻痺しているような気がします。さすがにぶん殴られたら痛いと思いますけど。

-----
2014/2/27(木) 午後 0:57
『36時間を超えました。まさに嵐が過ぎ去った後のような感じ』

直近で起きたのはたしか・・・ 一昨日の夜12時だったと思います。
んーー、ということは、まもなく37時間ですか。なるほど。

怒涛の毎日がようやく終わりました。 ものの見事に、嵐が過ぎ去った後のような感覚です。 おなかすいた。 風呂に入りたい。 寝たい。 ん? いや、不思議なことにあんまし眠たくない。

-----
2014/2/27(木) 午後 4:15
『前回とは全然違う。やりきった感がある。みんなで頑張った感がある!』

ヘロヘロ指数∞のため、ちゃんとした文章は書けませんが、嵐の後の急な静けさに慣れてきたせいか、いろんな感情が少しずつ顔を出し始めています。

なんすかね。この気持ちは。よくわからない、というか、うまく説明できないのですが、悪くない感じ。むしろいい感じ。前回のときは提出する少し前から、すでに気持ちがどんよりしてました。「負けた」という感じでした。

今回はですね・・・ 「勝った」とかそういうことでもなくて
うん、勝った負けたではなくて、とにかく清々しい! という感じです。 やりきった! もうあれ以上はできんかった! 

いや、今回については、「やり残した」とか、「やりきった」とか、いつもの軸だけじゃなくて、とんでもない軸が登場したんです。「みんなで戦った」という、なんちゅうんかな、その・・・ 一枚岩指数みたいな感じ。読者の方からみれば、なんじゃそりゃって感じだとは思いますけど。今回の一枚岩指数、ハンパなかったと思います。ほんとすばらしかった。 感動した。 こういうの、また経験することあるのかしら? ないんちゃうかな。

あぁ・・・   エビフライ食べたい。 チキンカツも食べたい。 全部食べたい。 
 
さすがは40時間連続稼働してると文脈めちゃくちゃですね。話がいきなりエビフライになってしまったので元に戻しますが、いや、ほんとすごかったっすよ。 ほんとに今回は。 まじで。 きっと印象的だった記憶として残ると思います。 みんなと一緒に一生懸命走った記憶。 ん~~ ♪  すばらしい♪♪   んーーーー

そろそろ、今日のところは限界が近づいているのかもしれません。 というか、きっと、体が臭ってると思うんですよね。 だって、もうかれこれ・・・ ん? いつから風呂入ってないんだっけ?? すくなくとも今週は一度も体も頭も洗ってないんじゃないの!? もしかして!? うげっ! 

-----
2014/2/27(木) 午後 5:01
『もともとは、、今日、松村と出発する日だった』

眠くならない理由が分かったような気がします。

今日2月17日は、松村と出発する日だったんです。
その日を今日の「やりきった感」で迎えたことは偶然なのかな。不思議です。とっても。

さきほどの能天気な投稿とはうってかわって
いまはなんとも形容しがたい深い気持ちです。

<解説>
ほんとうはこの日、松村とモルディブに出発する日でした。ずっと以前から松村と約束して楽しみにしていたのです。松村の体調が急変した後、好転することを祈って予約を保持していたのですが、診断結果が芳しくなくて、なくなくキャンセルしました。旅行会社にキャンセルの電話をした時、ほんとうに無念でした。

-----
2014/3/3(月) 午後 4:03
『ついにラストスパート。残り28日。全力で臨む』

さきほどskypeで研究室学生と作戦会議しました。 カトケンはついに本当に最後の大勝負に打って出ます。 決して大袈裟な言い方ではありません。いよいよラストスパートします。

池田と奈良が作ってくれた現在の流れを。 松村と一緒に過ごした3年半を。 カタチに仕上げます。

一時は破綻しかけたカトケンを、存続どころか、一緒に大きく飛躍させることに尽力してくれた松村。 こいつと一緒に駆け抜けた3年半を最高のかたちで締めくくる。 必ず仕留めあげる。 嬉しいことに、この大勝負に他の学生も加担してくれることになりました。 松村の次の代を引き継ぐ安藤と大野、さらに次の世代を引き継ぐ丹羽と工藤。 みんなで力を合わせて最後の大勝負に臨みます。

まさに共創。 できあがるカタチは、共同作品と呼ぶに相応しいものになると思う。 「なると思う」ではなく、そうなるべき。 今日から一ヶ月弱の取組みは、今後の加藤研究室の価値観になりうると思う。

初代・笹木から始まり、コームラ、池田、奈良へと受け継がれてきたカトケンDNAを、その次を担う世代とともに再構築する最高の機会になることは間違いない。 安藤や大野をはじめ、来年度以降のカトケン運営を担う次世代メンバーとともに、これからのカトケンDNAを今回の一件を通じて一緒につくっていきます。 大野と安藤がカトケン配属直後に「一緒に研究室を創ってほしい」と言ったことを実行に移す絶好の機会をいままさに迎えた。 そういえると思う。 安藤と大野がいれば、きっとできると思う。 今日から年度最後の日までの投稿は、私にとっても一生の記憶に残る「記録」になると思います。

残り28日。

全力で臨みます。 「全力とはこういうことを言うのだ」ということを、指導教官として私も姿で研究室学生に示します。

<解説>
論文2本の投稿作業はすべて終わりました。あとは、最終審査結果を待つのみ。松村と一緒に過ごすことのできる残り28日間は、今秋11月に出版された5年ぶりの著書づくりに充てることになりました。この協働作業を通じて、松村がこれまでの3年半の研究室生活の月日で蓄積した知識を後輩たちに伝授してもらうことにしたのです。

-----
2014/3/5(水) 午前 0:17
『感無量』

みんなの力を一つにして、綺麗な花を咲かせることができました。
さきほどから何度も投稿を試みているのですが、どうにも言葉になりません。 

感無量です。
学生たちに本当に感謝しています。

松村に対する特別な気持ちは
今はまだ言わないでおきます。

<解説>
この日、学会から最終審査結果が届きました。論文2本とも、正式に受理されました!

-----
2014/3/31(月) 午後 5:51
『時間が止まってほしい。止めるのが無理ならせめて、時の刻みが遅くなってほしい』

あと1時間になってしまいました。
すでに半べそ状態です。

<解説>
松村との別れが目前に迫ってきました。

-----
2014/4/1(火) 午前 4:26
『いまも研究室。実は、松村も研究室』

当初は、昨夜22時10分名古屋発の最終新幹線をみんなで見送る予定でした。
見送った後は、新幹線名古屋駅ホームでベソかくんじゃないかと思っていましたが・・・

なんと、松村も含めて、全員研究室に再び戻ってきました。
いま、最後の、これがほんとの最後の協働作業中です。

今日はこのあと9時から松村は東京で入社式です。
名古屋駅出発は朝6時半すぎ。 研究室を出発するのは朝6時。

あと1時間半。
こんどこそ、ほんとうの最後です。

-----
2014/4/1(火) 午後 8:35
『いまの自分が何を感じ、何を考えているのか・・・自分でもよくわかりません』

新年度に入り
20時間が経過しました。

なにかを書こうとしているのですが、
いまだなにも書けずにいます。

<解説>
この日の早朝に、研究室全員で松村を新幹線名古屋駅ホームで見送りました。松村と過ごした3年半の月日はついに終わったのです。

-----
2014/4/2(水) 午後 7:57
『新年度初日の様子』

松村喜弘君

今日カトケンは実質的な新年度初日でした。

安藤と大野の二人は、自覚あるリーダーっぷりを初日から発揮してくれています。とても頼もしいです。丹羽をはじめとするB4たちも自立的に行動しています。
松村が作ってくれた流れは、次の世代に良いかたちで引き継がれると思います。

加藤雄一郎

-----
2014/5/31(土) 午後 3:00
『松村喜弘君』

ついに
最後の舞台

<解説> 
卒業した松村は、なんと新年度一ヶ月後の学会発表に一緒に臨んでくれました。上記の投稿は、加藤研究室総出で臨んだ学会発表で一連の発表をトリを務める松村君が登壇した直後(15時ちょうど)に客席で投稿したものです。松村の発表は、素晴らしいの一言に尽きます。ほかの発表者との格の違いが歴然でした。見事でした。

-----
2014/6/1(日) 午前 0:51
『多少復活気味ですが、このあと横になったら、明日は昼すぎまで起きないと思う』

感じること。 思うこと。 いろいろあります。 感情が渦巻いていて、 ぐちゃぐちゃで、 うまく文章に書けません。

今日は学会発表後、みんなで新大久保の「おんどる」に行って、そのあと、ボーリングに行って、さきほど解散し、いま電車です。

ほぼ2カ月ぶりに再会した松村について、いろいろ思うことがあります。 たくさんの感情があります。 感情や思いが溢れんばかりにあることはメタ認知しているのですが、どうにもこうにも文章になりません。

-----
2014/6/1(日) 午前 10:52
『久しぶりに、facebookページに書き込もうと思います』

寝坊するはずが、なぜか、6時半に目が覚めてしまいました。

早く告知したい気持ちはありましたが、「直接、手渡ししてから」 と決めていました。 昨日、別れ際にそれが叶い、その時が来ました。 加藤研究室のfacebookページにこのあと投稿します。

<解説> 
理想追求型QCストーリーが学会誌に掲載されたことを、この日までブログに書かずにいました。松村に手渡ししてから、みなさまにご報告したかったのです。このあと、研究室facebookページに論文掲載を正式に報告しました。

-----
2014/6/7(土) 午後 11:37
『父さん!今春卒業した松村から招待状が届いたよ!』

感動しました。ほんとうにびっくりしました。

父さん、
今春卒業した松村が、6月21日のヤクルト戦に父さんと私を招待してくれるそうです!

松村喜弘君、粋な計らいにほんとうに驚きました。 感動しました。
ありがとう。 ほんとうにありがとう。

<解説> 
この日は、恒例の品質管理シンポジウム@箱根でした。滞在先のホテルの部屋に戻ると、スタッフが「お荷物が届いています」とのこと。開けてみると、なんと、6月21日に開催されるプロ野球交流戦の招待状でした。私のみならず、私の父も。電話でもなく、メールでもなく、封書をしかも出張先に送ってくれるなんて。粋な計らいにほんとうにびっくりし、感動しました。

-----
2014/6/25(水) 午後 8:44
『4月1日に泣かずに済んだのは、「まだ次がある」と思ったからなのだと思います』

タイトルに続く本文は、まだ書くことができるほど気持ちの整理がついていないのですが、

少なくともタイトルに書いたことは
自覚しています。

-----
2014/6/25(水) 午後 8:40
『松村、ごめん。もうすこし気の利いた文章にしてからメールさせてください』

火曜日に復帰して、すでに一日が経過しました。 そもそも火曜日に復帰したのは、「元に戻ったのが火曜日だった」ということではなくて、「火曜日には復帰せざるを得なかった」というのが実際です。

どこまで胸の内を明かしていいのか、正直、気持ちの整理がついていません。
素直な気持ちを書きたいと思っています。

その後、連絡できていなくてほんとにごめんなさい。

<解説> 
4月1日の早朝、新幹線名古屋駅ホームで松村を見送る時、泣かずに済んだのはきっと、「1ヶ月後には、学会発表で再開できるから」と思うことができたから。そして、学会発表の日は、さらに翌月に一緒にプロ野球観戦することを約束したので、また会えることがわかっていたのでまたしても泣かずに済みました。しかし、、、6月21日に一緒に観戦したら、もう会う機会はなくなるとわかっていました。その日が終わった後は、抜け殻のようになってしまいました。情けない話ですが、私にとって松村はそれくらい大きな存在だったのです。

-----
2014/10/28(火) 午前 2:13
『いい仕事がしたい。 ただそれだけ』

簡単な問題は好きじゃない。 誰でも解ける問題なんか解いてもつまらない。
難しい課題が好き。突破し甲斐があるから。 解き方がさっぱりわからないくらいのほうが好き。

試行錯誤が好き。圧倒的に失敗のほうが多いけど、それでも好き。 というか、失敗ばっかだから好きなのかもしれない。 失敗して当然だから、「失敗したらどうしよう」と心配する必要がないから、開き直れる。

減点法、大嫌い。 加点法、好き。

鈍足、失速、停滞、迷走は、嫌い。 一番大事なトピックセンテンスを平気でどこかに置いてきてしまうのは、論外。 これらはほんとよくない。 試行錯誤できる回数を自ら減らすだけ。もったいない。価値を生む機会をみすみす逃すだけ。

ダメですね。やはりダメです。書いているうちに、いま自分が思っていること・感じていることがわかるかなと期待して書き始めてみましたが、どうやら方向感を失ったままです。 ただ、一つだけ最近ものすごく顕在化してることがあります。 異常なまでに自分の中で顕在化していることがあります。

・ 勝負したい。
・ 自分に賭けたい。
・ ビジョナリーでありたい。
・ 未来を切り拓きたい。

いろいろ言い換えてみても、私にとっては、どれも意味合いは同じ。 だから、シンプルにいこう。

いい仕事がしたい。     思いはただそれだけです。

-----
2014/11/1(土) 午後 6:32
『半年間、ずっと言えずにいたこと』

同志・松村喜弘君が研究室を巣立って半年以上が経過しました。

本音を吐露しますと・・・ 松村の存在が大きすぎて、現実に向き合えずにいました。  いまのこの状況が不甲斐なさすぎて。。実はこのメールと同じ趣旨を、今年度に入ってから何度もブログに書いていたのですが、「公開モード」にはできずにいました。

今年1-3月の論文2本の二の舞を繰り返すわけにはいかない。
失敗は許されない。 間違っても、再投稿だけは回避したい。

そんな「恐怖」にも似た感覚があり、すでに仕上がっているにも関わらず、投稿手続きを取れずにいました。いや、正直に本音を言うと、投稿してしまうことは、私にとって「松村と過ごした日々が、ついに過去のものになる。過去にしたくない」という思いがあったのだと思います。

しかし、、いつまでも過去にすがっているわけにはいかないです。

幸い、松村の後を引き継ぐに相応しい後輩がここへきて頭角を現しました。
先月10月19ー20日に本人といろいろ話をして「次の時代は、こいつに託せる」と思いました。
半年以上かかりましたが、そろそろ「親離れ」や「子離れ」ならぬ、「松村離れ」すべき時を迎えたといえるのかもしれません。

松村論文の審査過程を見守るのは、ぜひ、松村の後継に託したいと思います。
まずは、今週4日と5日に研究室の次世代の担い手と一緒に松村論文をあらためて読み込みたいと思います。確認が終わり次第、直ちに投稿手続きを取りたいと思います。

****
これまで「非公開」にしていたことを、本日11月1日に公開モードで投稿したのは
私の強い思いの表れです。

<解説> 
実は、今年初めの論文2本のほかに、松村を第一著者とする更に別の論文2本がすでに完成して手元にあったのですが、これを投稿することはすなわち私にとって松村との別れを意味していただめ、投稿できずにいたのです。

-----
2014/11/19(水) 午前 0:50
『もう一段、ステージを上げたい。飛躍したい』

「飛躍」・・・  いい言葉だなと思います。 もう一段、上に行きたいです。

-----
2014/12/23(火) 午後 5:57
『2014年は、論文に始まり、論文に終わる。いま思い出すだけでも、今年はじめの強烈な感覚が鮮明に蘇ります』

年明け後、しばらく平穏な日々が続く。
嵐は、1月20日に始まりました。 ここから4月1日まで関係者全員が不眠不休状態に。

1月20日 査読結果(1)
2月06日 再投稿
2月20日 査読結果(2)
2月26日 再々投稿
3月04日 Apple論文掲載決定! しかし、理想追求論文は再々々投稿指示
3月06日 再々々投稿
3月10日 2論文とも掲載決定
  ↑
 この間、著書01&02の原稿作成
  ↓
3月31日 ポールボキューズでお別れ会。ところが、、、
なんと松村は研究室に我々と研究室に帰ることに。途中、鶴舞公園でプチ花見。

4月01日 松村の入社式 早朝 全員で名古屋駅で見送り。
松村は無事、東京へ。名古屋に残された我々はその後、コメダでまったり朝食

4月某日 私たちの論文が掲載された学会誌発行!

-----
2014/12/24(水) 午前 0:34
『今年は、6ヶ月間が空白。4-9月は何も生み出せていない』

さきほどの「論文に始まり、論文に終わる一年」という投稿がきっかけで
今年の月別の主な出来事をリストアップしてみたのですが、

今年は、
1月中旬-3月末と
9月中旬-12月末の合計6ヶ月を除くと
かぎりなく生産性ゼロでした。 いま、ちょっとした凹み気分です。

何もやってなかったわけではないんです。

例年どおりの「ものづくりマーケ」に加え、久しぶりに前期に大学院授業を担当した。
専攻合宿にも数年ぶりに参加した。
恒例の学会発表もした。
企業に対する講演、ワークセッション、BM大会。企業対応はいくつもやっている。
松村に招待してもらった野球観戦もあります。伊勢神宮にも行きました。いろいろ記憶に残っています。

しかし、
4月1日に松村を失った影響が大きすぎたせいか
4-9月まで、実質的に生み出した成果はゼロです。
「かぎりなくゼロ」ではなく、正真正銘の「完全ゼロ」です。何も生み出せていません。

おそらく、それがよほど許せなかったんだと思います。「プライドが許さなかった」というかなんというか。
それが、9月16日の再起動を強烈に促したのではないか? ・・・ そんな気がしてきました。

-----
2014/12/24(水) 午前 0:49
『9月16日、一気に反転攻勢に打って出た』

9月16日からは、それまでの体たらくが一転。
一気に反転攻勢に出ました。

研究室メンバーの多くの力添えがあったからこそ。
なかでも、その最大の功労者は、丹羽正樹君です。
9月16日から一気に始まった新著の原稿執筆活動は、わずか52日間でケリをつけました。

今年3月に少しは下準備をしていたとはいえ、
4月に入った後はずっと放置して感覚をほとんど失ってしまっていたことを考えると、

9月16日は「再開」というには程遠く、実質、この日からスタートしたも同然です。そう考えると、52日間で仕上げた今回のことは、結構凄いことだったんじゃないかなと思ってしまいますね。

その間、
失意のクライマックスシリーズがあったり、
行き当たりばったり奥飛騨温泉があったり、
沖縄慰労がありましたから、
「不眠不休」ではないんですよね。そこがまたなんだか不思議な感じです。あはは。

-----
2014/12/24(水) 午前 1:31
『大晦日は大晦日で今年一年を振り返るとは思いますが、例年になく、この時期に振り返っているのはきっと切なる願いがあるからなのだろうと思います』

さきほど書いたとおり、今年は4月から9月まで半年間にも及ぶ空白を生んでしまいました。
自分自身に対する不甲斐なさから9月16日から反転攻勢に打って出て、
11月26日からは人生最強クラスの鬼期間を過ごし、今年も残すところ一週間に迫りました。

きっと私は、空白の虚しい半年間を帳消しにしたいんだと思います。
可能な限りのベストな終わり方を目指しているのだと思います。
そうでなければ、いまの時点でもう、今年は消化試合に入っているはず。

終わり良ければすべて良し。
今週中に2件。最終日までにせめて1件は「終わったぜ!」と自認したいです。

松村と過ごした3年半の集大成の記録は
今週中につける!!

-----
2014/12/25(木) 午前 0:14
『松村君、君は本当に最高の共創者です』

グッと熱いものがこみあげました。
松村喜弘君、本当にありがとう。
あなたは最高の共創パートナーです。

<解説> 
ついに、松村と創った最後の打ち手を学会に投稿しました。

-----
2014/12/28(日) 午前 4:17
『間に合いました。さきほどから、しみじみとした気持ちです』

年内に間に合いました。
うまく言えないのですが、重く、深い感覚です。
さきほどから、しみじみとした気持ちです。

ほんとうに素晴らしかったです。 感謝しております。

<解説> 
上記の論文は、投稿した直後に学会事務局から「文字数オーバーで投稿規定を満たしていない」と突っ返されてしまいました。「年内!」にこだわっていたため、とにかく大急ぎで直しました。

-----
2014/12/29(月) 午前 5:05
『一つの大きなケジメをつけることができました。非常に嬉しく、そして、、、、寂しさもこみあげます』

さきほど、学会事務局からご連絡をいただきました。
休日の夜遅くにメールを着信し、ビックリしました。

昨晩以上に
しみじみとした気持ちになってます。

いまはまだ、審査プロセスにのったにすぎないのですが、気持ちの整理がついたと言いますか、、、 うーん、、 なんというか、うまくいえないのですが、「気持ちにケジメをつけることができた」 とでもいうのかな。 

やはり、いまの気持ちを言い当てた言葉が浮かびません。

今日に至るまでの、ここ数カ月間の関連投稿を今一度、読み返してみました。 積もり積もるものがあります。 三年半の月日。 在学中だけではありません。 卒業後も 「春季学会発表」、「親父と私を招待してくれた神宮観戦」、そして、先日の「秋季学会発表」。 秋季学会発表では、一緒に創った理想追求型QCストーリーの著書を直接手渡ししました。

そして、今回の論文2本の投稿。 松村と一緒に走り抜けたいろいろなことが、確実に、一つずつ形になっていってます。 ほんとうに嬉しいです。 しかしそれは、松村との取組みが確実に終わりを迎えていることを同時に意味しています。 この投稿論文2本を掲載までケアしていくことが、松村との最後の協働作業です。 これが、最後になります。 なにかこう、寂しさがこみあげます。

投稿に至ることができてもちろん嬉しいです。 年内の投稿は、もはや意地でした。 それが叶い、ほんとうに嬉しいです。 しかし、、同時に、寂しさも大きいです。

松村喜弘君、ほんとうにありがとう。
いまはまだ審査プロセスにのったにすぎないのですから、御礼を言うのはまだ早いね。 それを言うのは、もうしばらく先にします。
掲載に至るまで、最後の共創過程を思う存分、松村と楽しみたいと思います。

<解説> 
「投稿規定を満たしたことを確認した。このあと審査プロセスにのせる」との連絡をいただきました。松村と一緒に過ごした3年半の共創物のすべてを放つことを完了しました。感無量であり、そして、あらためて寂しさがこみあげてきました。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3957

Trending Articles