Quantcast
Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3957

帰納法そのものがダメなのではなく、帰納法における上位層を安易に定めることがダメ。ということなのかな?

$
0
0
もしかしたら、先ほどの投稿は、非常に大切な問題を示唆しているのかもしれない。と思いました。

これまで、私は帰納法を毛嫌いする傾向がありました。その最大の理由は、帰納法は推論する人によって解釈がバラツキ、任意になる可能性が高いと思ったからです。「一見、論理的。しかし、よくよく見ると、恣意的。そんなの邪道だ」・・・帰納法に対して、そんな認識をしている節が私にはありました。

しかし、、

なにかアイディアを発想する際は、むしろある程度の自由度がないと、斬新なアイディアは導出されない。つまり、ある程度の任意度合いはむしろ確保されていた方がいい。

重要なことは、帰納法を構成する上位層と下位層の乖離の大きさ。乖離が大きすぎると帰納法は難しくなる。より正確に言うと、難しいというより、解釈の自由度が大きすぎて、なにが推論されるか任意になりすぎる。それでもなお、なにかを推論しようとすると、なんらかの制約を加えようとする場合が少なくない。

その制約って、要は演繹推論ルールに相当するものですよね?

つまり、帰納法を構成する上位層と下位層の乖離が大きいと、その構造を用いた推論というのは帰納法ではなく、演繹法になっている可能性が高い。

演繹法の最大の強みは、ロバストな論理づくり。着目した事象に対し、「こういう観点から解釈せよ(=演繹推論ルール)」を伴って推論するから、推論者によるバラツキは抑えられる。人による解釈のバラツキを抑える効果は、プレゼンテーション等では功を奏す。しかし、アイディア発想では、むしろ、縛りがキツすぎて斬新な発想可能性を削ぐ。

帰納法の上位層が、下位層に対して過度に抽象度合いが高いと、推論する際に「改善」を是とする価値観が演繹推論ルールとして暗黙のうちにセットされる。だから、導出されるアイディアが面白くない。だから、「ビジョン」があろうがなかろうが同じようなアイディアが出てくる。

上位層の抽象度合いはどうあるべきか。そのような抽象度合いで上位層を定めるようになるための手順はなにか。


抽象の梯子は、
有意義な帰納法を実行するための、適切な上位層設定に寄与するのかなと思いました。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3957

Trending Articles