Quantcast
Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3957

「目的関数」と「制約条件」の設定がこんがらがっているご様子

$
0
0
目的関数: Y = f (x1, x2, x3)

制約条件: x1 > 0、 x2 ≦ 200,000、 -5 ≦ x3 ≦ 5

問題の設定とは、
上記の「目的関数」と「制約条件」を自ら定めること。

ーーー

なんか違和感を感じます。

本来、目的関数の右辺にいたはずのもの(1説明変数に過ぎなかった)ものが、左辺・目的変数にすり変わっている。

<修正された目的関数>
x2 = f ( z1, z2 , z3 )

<修正された制約条件>
1 ≦ z1 ≦ 2
0 ≦ z2 ≦ 10
0 < z3 ≦ 3

本人の目的変数・左辺は、
当初は手段だったはずのx2。
x2の達成こそが、目的。
そして、その目的を達成すべく、
z1~z3をいかにコントロールするかしか頭になくなる。

その結果、相方はどうなるか?
相方は結構な制約条件を負うことになり、目的関数を見直さなければならなくなった。少なくとも短期的には、もう一度ゼロから目的関数を作り直さなければならなくなった。

そうなると、次に相方に起きることは、「なんで作り直さなければならないんだ!」という気持ちになり、それに引き続き、「目的関数がぐちゃぐちゃなのに、なんで制約条件だけを負わなければならないんだ!やってられるか!」という事態にまで発展し、かくしてすべてが頓挫する。

目的変数: ? = f (?)
制約条件: x2 ≦ 200,000 、 1 ≦ z1 ≦ 2 、 0 ≦ z2 ≦ 10 、 0 < z3 ≦ 3 、 w1 ≧ 8

いったいこれは何の問題を解こうとしているのか? そもそも、何のためにその問題を解かなければならないのか?

制約条件ばっかり。目的関数がわからなくなった。目的関数を見失なってしまった。

普段なら、「目的関数がわからないなら、改めて定めりゃいいじゃないか!」となるところなのですが、、

そんな制約条件だらけの目的関数設定にそもそも何の意味があるのか?という気持ちになってしまい、考えることをやめてしまっています。

ーーー

目的変数Y を実現するために、制約条件を緩める。これは時として必要だと思っています。制約緩和はお家芸だと思ってます。その結果、まわりから見ると、朝令暮改に映ることがしばしばあることが不具合なのですが。常に「目的起点の人間でありたい」と思ってます。よく口にする「意思ある自由」は、まさに、目的起点であれ。という意味です。

一方、「はじめに制約条件ありき」で、その上で解ける目的関数を設定するのは嫌いです。持続性を考慮しなければ、実現できたはずのことも実現しないことを知り、かつてよりは「制約条件軽視」は改まりつつありますが、それでもいまなお、基本的に「制約起点の人間にはなりたくない」と強く思っています。制約条件に縛られることがとにかく嫌いなんです。昨年、結構大きな決断をしましたが、それは身の回りに降りかかる制約条件を一切合切取っ払おうとした表れです。

ーーー

今回の場合、
話のスケールはともかくとして、制約起点です。明らかに、制約起点。

ほんと制約条件ばっかり。
一つや二つならともかく、いろいろ重なってくると「いい加減にせい!」という気になってしまいました。これらを条件とした目的関数に何の魅力があるのか?

とりあえず、グッと溜め込んでみることにしました。それら制約条件を受け入れてでも、実現したいと思える目的関数を定めることができるのかどうかを少しの時間 考える必要があると思っています。そうではなく、いつもの調子でやると「即却下」になりますから。考えても、結局却下の可能性がありますが。

ーーー
<加筆>
自分が書いた文章を読み返して、ふと疑問が生じました。疑問というか、興味がわきました。

制約ゼロの状況って、現実的に無いと思います。必ずなにかは制約として存在する。

じゃあ、
「なんとか目的関数を実現すべく、制約条件をなんとかマネージしよう」と「もうやってらんねえ!」の境目は、何なのかな?? スレッシュホールドは何だ??

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3957

Trending Articles