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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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コミュニケーション能力の本質は、利害を一致させること。

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タイトル「あなたがやりたいように、人を利用すればいい」
2016/4/3(日) 午前 1:50

ある方から諭された時、そう言われたことが頭に残ってます。
でも、正直いって、私はそういうのが苦手です。ヘタくそです。
意図、思惑、目的、狙い、願い、思い。そういうのがすべて相手と完全一致することを目指してしまう傾向があります。

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タイトル「うわっ!これはもしかしてなにか大切なことに気づきそうな予感!」
2016/4/3(日) 午前 1:54

さきほど、「意図、思惑、狙い、願い、思い。そういうのがすべて相手と完全一致することを目指してしまう傾向があります」と書いていて、ふと、なにか大切なことに気づきそうな気がしてきました!

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タイトル「肉親だって難しいのに、赤の他人に無理にきまってる。叶うはずがない」
2016/4/3(日) 午前 2:20

 というのはですね、さきほど「意図、思惑、狙い、願い、思い。そういうのがすべて相手と完全一致することを目指してしまう傾向があります」と書いていた時に、「いやいや~、肉親だって難しいのに、赤の他人にそんな完全一致を目指したところで叶うはずないんじゃない?」と自分で自分にツッコミいれてたんですが、そのとき!!

 あ!もしかしたら!完全一致なんて叶うはずないのに、それなのに、それを求めてしまう。案の定、そんな完全一致なんかない。すると、落胆する。ガッカリする。怒りがこみあげる。それって、「信頼」じゃなくて、「期待」じゃん。あの、、まだうまく言えないのですが、「なぜ、期待にひた走ってしまうのか?」という原因に近づけそうな気がしました。安易に結論づけず、引き続き考えますが、ある事柄について「考えていること(左脳系?)」と「感じていること(右脳系?」が、相手と完全に一致することに喜びを見いだしてしまっている。これがすべての根源か?
ちなみに「すべての事柄」じゃありません。「ある事柄」です。「自分から見て、重要な事柄」と言えばいいのかな。んー。しかし上記はまだ、根源じゃないな。期待してしまう原因ではあるけど、根本原因じゃない。根本原因は、もっと下にある。おそらく。なんとなーくですが、根本原因は、幼稚園から小学校まであたりのなにか原体験が関わっているような気がしてきました。

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利害の一致。
2016/3/7(月) 午後 10:40

利害を一致させることって、ほんと大事なんだなと、つくづく思いました。
さらに言うと、利害が重なりの大きさをどれだけ大きくできるか。

ふう、、ため息が出ちゃう。利害調整能力を身につけたい。私がやりたいことは一人ではとても成し遂げられないですから、利害調整能力を身につけなければいつまで経っても実現させられない。

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コミュニケーションの本質
2016/3/9(水) 午前 0:14

コミュニケーション論が専門ではないので軽々しく言えませんが、私がこれまでに経験した失敗は、他者からいつも例外なく、「コミュニケーションの問題」と指摘されてきました。それを指摘されるたびに、そんな抽象的な指摘されるても困る!と、いつも思ってました。

なんか少しだけ、わかってきたような気がします。中核問題は、利害の不一致。あらためて考えると、私は利害の一致を軽視していた。あるいは、勝手に利害が一致していると勘違いする傾向がある。そんな気がします。相変わらず抽象的ですが、でも、私のなかでは抽象度合いが下がったと思う。

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タイトル「こういうこと言ってる時点で、信頼関係でもなんでもない」
2016/4/4(月) 午後 8:38

このままではきっと終わる。「なにがなんでも!」という強い思い入れがなくて、「終わるんなら、終わればいいや」と心のどこかで思っている自分がいるのがややこしいです。でも、いまなら、力を合わせればなんとかなると思うんですよね。私にはその用意がないわけではないので、あとは向こう次第かな。と言ってる時点で、信頼関係じゃないですよね。そうなんです。こんなの信頼関係でもなんでもない。信頼関係の再構築。その必要性を頭では分かってます。頭では分かってるんですけど、感情がついてこない。まいったな、こりゃ。

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これが、組織の力学というものなのかな
2016/4/4(月) 午後 10:49

人が集まると、ほんと不思議な力が作用しますね。
作用する力が複数存在し、さらにはそれらの力の個々がどこから生まれているのかわからない状態を「伏魔殿」というのでしょうか?いままで単純明解な世界で生きていたのか、あるいは、たまたま師事した方がものすごい実力者だったために力学に気づかなかったのか、はてまた、そもそも鈍感で気づかなかったのかわかりませんが、思惑が交錯する世界というのは、なんとも不思議で恐ろしい。自分はまだまだ子供だなあと思います。まるで分かってない(汗)

そうですよね。力学という観点から振り返ると、過去のあの件も、また別のあの件も、なるほどと納得できる点があります。んー。勉強になります。

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どこにいようと「ここも基本的に伏魔殿」と思って振舞うべし
2016/5/15(日) 午後 5:52

玉虫色は実は、主要な各人には玉虫色ではなく、はっきりした色になっている。しかし、それを全体色で表すと、いろいろな色を混ぜれば、第三者から見れば、なんとも釈然としない玉虫色になる。

主要な各人に合わせた色を用意するから、合意された色合いの中に強い色が存在しない。他にどんな色を加えても変わらない強い色が、合意の全体構成のなかに存在しない。弱い色たちばかり。それらを混ぜて、全体を一色で表現しようとすれば、何色なのか説明しがたい複雑な色になるのは当然。

極論すれば、その物事に対して強い利害を持っている人間以外には、総論としての色は何色に見えてもいい。ただし、全体としてはなんとも釈然としない玉虫色でも、その色を要素分解すると、その物事に強い利害をもつ人間たちには、各人から見て利害が一致した色が要素されている。

つまり、玉虫色の結論というのは、誰にとってもよくわならない結論なのではなく、
(1)直接的に強い利害に関わらない人間(つまり、本件の進退に重大な影響を与えるわけではない人間)に玉虫色なのであって、
(2)強い利害関係者各人にはハッキリした色を示している。

アホな玉虫色結論は、
第二特徴を満たさず、第一特徴だけの結論。これはほんとにアホだと思う。だって、その結論では、物事が前進しないですから。合意形成の重要性が説かれていますが、こと日本の場合、合意形成のプロとは、第二特徴を満たす「賢い玉虫色」を出せる人をいうのかな。つまり、物事の進退に強い影響を及ぼす利害関係者各人には個々にハッキリした「利」を示し、その一方で、物事の進退に直接関わらない人々に対してはそれらの周辺の人々が無用な世論を形成しないよう意図的に明確な色を表さない。つまり、どうでもいい第三者には何色なのか釈然としない玉虫色を意図的に出す。これにより、外野がヘンな世論を形成することを抑制する。

そう考えると、「重要利害関係者の割り出し」と「それらの各人の利害の正確な把握」が、合意形成プロに求められる重要なコミュニケーション能力ということになる。

わたしには、この能力が足りない。
だから、宙に浮く事案や、ちゃぶいひっくり返し現象が起きる。

自分が信じる主張と
重要利害関係者各人の利害がすべて一致しているかどうかの確認を怠っていた。

「伏魔殿」という言い方は、よくない。その言葉を使う人間というのは、重要利害関係者の割り出しを怠っている人間。この事案の進退に重大な影響を及ぼす人間は誰かを考えればいいわけだから、「ここは伏魔殿だから、この事案が頓挫した」というのは、無能な人間の言い訳。

むしろ、「どこだろうが基本は伏魔殿」という基本的前提で物事に臨むべき。
ということなのかな??

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組織開発はいまこそ必要
2016/10/16(日) 午前 3:07

恥ずかしながら、「組織開発」という言葉を知ったのは、つい数年前のことです。ゼミで学生に教えてもらいました。しかも、そのときは食いつくことなく、「ふーん」という程度でした。そんな私がいま、組織開発にハマろうとしています。かなりのハマりようです。まだ、ハマり始めですが。

個人レベルのIQの高さ = 組織レベルのIQの高さ
ではないっす。

個人には、欲望がある。思惑がある。集団における利害の不一致は、当然起きる。
「個人」という言葉を、「部門」に置き換えると、さらに問題は深刻になる。
部門には、部門の思惑がある。達成すべき目標がある。部門間における利害の不一致は、当然起きる。
組織縦割りの問題。この問題そのものはかなり前から指摘されてきたけど、解決できてないですよね?

なぜなんでしょう?

原因はいろいろあるのでしょうが、要は、各部門がお互いに繋がる必要性を見いだしてないから。でしょ?違うかな? 当事者が必要性を見いだしてないのに、上から「繋がらんか!コラっ!」と言ったところで繋がるわけない。仮に繋がったかのように見えても、持続しない。だって、繋がる必要性がないんだから。

各部門の目標の上位に、大目標が要る。ただし、その大目標は、売上やシェアといった財務的な結果目標じゃない。そんなんじゃあ、各部門が相互に他部門を必要とさせる具体的な作用をもたらさない。大目標は要る。しかし、大目標ならなんでもいいわけじゃない。

部門が他部門の機能に必要性を見いだすことに寄与する。そんな大目標が必須だと思う。

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BM活動とQC活動の違い
2016/1/11(月) 午後 5:29

<前>
自部門起点の
アクティビティ連鎖
 ↓
<後>
顧客価値起点の
資源を網羅したアクティビティ連鎖

この変化こそが、顧客志向の意識改革の表れ。
そして、各部門の利害を超越した大目標による組織的結合の突破口。

BMとQCの違いを、私自身がようやく心得たような気がします。その違いは、取組総括シートにおける「組織オペレーションの見える化」の進化過程に現れるといっていいのではないかと思いました。そして更に、時間軸を未来に広げることで、BMのBMたる所以が一層はっきりする。んー。にゃるほど!!

BMの真髄は、
1) 顧客価値を出発点とした、組織オペレーションの仕組みづくり
2) 時間軸を未来に広げた新たな競争軸の発見と、その競争軸の組織オペレーションの仕組みへの落とし込み

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「妥協」と「協調」の違い
2016/5/15(日) 午後 6:08

今年のHRサミットで、
参加してみてとても良かったセッションの一つは、「コンフリクト・マネジメント」でした。これはほんとに良かった。

このセッションを主催した日本能力協会には、次の機会に是非とも「部門間のコンフリクトをいかに打開するか」というお題を実施していただきたいな。今年は「個人間のコンフリクト」だったので、次回は是非とも「部門間のコンフリクト」についても能力協会の考え方を聞いてみたいです。

いま、レジュメを振り返っています。
「妥協」と「協調」の違いは、難しいですね。

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目的の共有って、ほんと難しい。
2016/8/15(月) 午前 0:08

これだけ長い時間を共有してきたのだから大丈夫。そんな絶対的な安心感があり、任せっきりにしてました。が、蓋を開けてビックリ。まさかの趣旨と不一致。

目的の共有。意図の共有。これって本当に難しいですね。「コミュニケーション不足」を指摘されたら何も言い返せないです。が、そんな一言で原因認定しちゃあかんでしょ。グダグダ時間をかければいいという話じゃない。少ない機会であっても、目的・意図は伝えられたはず。あ、そうか。だから、コミュニケーション不足なのか。そっかそっか。

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目前の困難を乗り越える。それを可能にする鍵は、長期的展望に立ったビジョンをおいて他にない。
2016/6/14(火) 午前 3:55

人生の価値は、その人間の物語をどう閉じることができたかにかかっている。爺ちゃんにそう教えてもらいました。目の前に困難があれば、これをなんとかしなければと「いまココ」になるのは至極当然。しかし、そのときの意思決定が長い目で見て正しいとは限らない。なにが正しいかは、物語を閉じるその瞬間にならないとわからない。

そうだとすれば、自分のそのときの意思決定の正解率をすこしでも高める鍵は、換言すると、自分のそのときの意思決定の誤りをすこしでも抑える鍵は、現時点で考えられる「自分の物語のタイトルと筋書き」にある。それがビジョンというものなのかもしれないですね。

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現状が苦しい時こそ、「ありたい姿」と「めざす姿」
2016/6/17(金) 午前 2:12

成長プロセスが存在しなければ、人は、目前の事柄に目を奪われがち。「いま・ここ(の現状)」に囚われる。「いま・ここ」が苦しい時、自転車操業になる。刹那的になる。付け焼き刃になる。逃げたくなる。「いま・ここ」の苦しさから解き放つことができるのは、ありたい姿と目指す姿。つまり、成長プロセス。またの名を、成長スクリプト。さらにまたの名は、成長シナリオ。

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ここ数ヶ月間、いっつも同じ反省を繰り返してる。
2016/8/9(火) 午前 0:10

人の話を最後まで聞け。
こう決めて臨んでいるはずなのに、未達に終わり凹んで帰る。ここ数ヶ月間、これを繰り返して、ほんとダメ。

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「自分の出番はどこからなのか?非常に迷う」
2016/4/6(水) 午前 2:25

なんかため息が出ちゃいます。どうすべきなんだろうか。過去に某社とプロジェクトをご一緒した際、いつの間にか「加藤プロジェクト」と呼ばられるようになったことに大きな違和感を覚えたことがありました。その違和感というのは非常にシンプルで、「このプロジェクトはみなさんのものであり、私のためのプロジェクトじゃない!」というものです。まあ、当時のメンバーは別にそういう意味で言ったわけではないのでしょうけど。

最近、似たような違和感を覚えました。上述よりも、えげつない内容です。あのですね、、、私はこれまで一度もプロジェクトを私物化しようとしたことはないだけに、とても残念な気持ちになりました。本来のあるべき姿は、依頼側に明確な狙いがあり、私はそれを実現するアプローチを提案する。ということだと思います。しかし、最近の傾向は、先立って明確にされているべき「依頼側の狙い」が、明確になっていない。


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以下、今年直面した事態がきっかけで着目するようになった「オーナーシップ」に関連する記述です
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「いったい全体、誰がオーナーなんだ!?」

◆プロジェクトにおけるオーナーシップ◆

プロジェクトのすべてのアクティビティや要素成果物はオーナーにアサインされるというのが基本的な考え方である。

◆オーナーシップの要件と本質◆

では、当事者は何をすればよいか?当事者(オーナーシップ)には3つの要素がある。
オーナーシップの構成要素
(1)実行責任(レスポンシビリティ)
(2)説明責任(アカウンタビリティ)
(3)権限
の3つの要素があり、これらを相乗的に統合するのがオーナーシップである。

一般的にオーナーシップとして、権限をイメージしている人が多いが、これだけではオーナーシップにならない。オーナーシップには責任が付随し、一つは、行動や作業実施へのコミットメント、つまり実行責任である。もう一つは、当事者は求められる成果を上げ、成果について正確でタイムリーに報告をする責任、つまり説明責任である。前者をレスポンシビリティ、後者をアカウンタビリティと呼ぶ。三つ目はそれらの責任を果たすために適切な権限を持たなくてはならない。ここでいう権限とは、「命令」、「規則を強いる」、「強制」、「服従の強要」、「決定」、「判断」などの行動の権利とパワーを意味している。オーナーシップとは、この3つの要素を統合することである。現実には組織の中のプロジェクトなのでそんなにすっきりはしない。調整したり、決めたりすることが必要になる。個別には、RAMの作成ルール、報告ルール、権限委譲ルールなどを個別には定めている組織は増えているが、統合されている企業はほとんど見かけない。統合されていないので、問題がおこればすぐにエスカレーションという非合理的なことをやっているケースが多い。これがこの後述べる、当事者意識のなさを生んでいる。

◆当事者意識が欠如している限り、成果は得られない◆

プロジェクトマネジメントの普及とともに、プロジェクトを形式化(プロセス化)して扱うようになってきた。このこと自体はよいことだと思う。しかし、同時に、オーナーシップの欠如、つまり、当事者意識の欠如が目立つようになってきた。プロジェクトスポンサーやプロジェクトオーナーの当事者意識のなさはいうに及ばず、プロジェクトマネジャーにも当事者意識がなくなってきた。「ヒトゴト」として計画を作り、「ヒトゴト」としてステークホルダやメンバーを集め、「ヒトゴト」として管理する。プロジェクトマネジャーがヒトゴトなので、集まってくるメンバーも「ヒトゴト」である。プロジェクト作業に対するオーナーシップもないので、品質は下がる。リスクに対するオーナーシップがないので、問題が発生すると「オーマイゴッド」である。プロジェクトに誰も当事者がおらず、社内のプロジェクト運営ルールやプロジェクトマネジメントプロセスに則り、粛々とプロジェクトだけが進んでいる。工場で車を作るのとなんら変わりがない。このような状況が必ずしも悪いとは言えないが、何かあれば、もろいことは間違いない。プロジェクトに真のオーナーシップを定着させない限り、プロジェクトが経営的効果を発揮する日はこないだろう。

【出典】 

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「信頼」と「丸投げ」

先日に覚えた違和感がきっかけで、この連休中は、いろいろ調べて回ってました。
・「信頼」と「期待」の違い
・「共感」とは
などなど。前者の「信頼と期待の違い」を調べている過程でメモしたことの一つは、「ヨソゴト上司からの信頼は、丸投げにならないのか?」です。ということで、「信頼」スペース「丸投げ」をググってみたところ、薫さんという方の興味深いブログを発見!( http://ameblo.jp/rikejyo/entry-11338925254.html

--以下、引用--
私が、「任せられている」と感じたときは、
・ 上司からその仕事を担当して欲しいという正式な依頼がある。
・ その仕事の方向性や、アウトプットの仕方についての摺合せはきちんと行う。
・ 上司は進捗状況を把握しており、部下である自分が困って相談にいくと、相談にのってくれる。
・ 結果が出たら、「やったね!」と一緒に喜んでくれる。
・ 指示という形での口出しはせず、「こういう考え方もあるんじゃ?」という提案型のアドバイスをくれる。

逆に、私が「丸投げ」されていると感じたときは、
・ 上司に仕事の目的を説明される。その仕事の背景や必要性、どんなアウトプットが欲しいか等の説明はない。
・ 結果の報告や、相談をしにいくと、あまり本筋と関係がない細かいところに指摘が入り、細かい指示をされる。
・ 結果を伝えにいって、上司が心の中で思っていた結果と違うと、やり直しが命ぜられる。ときには、なんでそんなことやっているのと言われる。

薫さんのこの記述は、私が先日に抱いた違和感にかなり関わってると思います。これ以上の言及を避けますが。

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「どいつもこいつも当事者意識がない奴ばかり」

腹括れない状態で、安易に軽々しく声をかけてくるのはやめてください。
とどのつまり、上から任命されただけの人間はアカンっちゅうことなのでしょうかねえ

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「良いオーナーと良いリーダーと良い事務局ががっぷり四つに組んで初めて、プロジェクトは成功を収め、日常業務に落ちる」

ということですよね。先日来、「この人は覚悟があるのだろうか?」と、疑念を抱かずにいられない事案が立て続けに起きていただけに、今日のことは染み入りました。

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