「交渉」という言葉には、「少しでも自分の取り分を多くしようと巧言を弄し、相手を脅し、なだめすかす」ようなイメージ。感覚的にいって、家族や恋人同士でも「交渉」するというのはおかしい。交渉は人間関係が浅い者同士がするものであって、ある程度関係ができてしまえばあとは信用や思いやりで話が決まっていくものではないか。だいいち、例えば何でも「交渉」してくる友人など、とても耐えられないではないか。そんな風に思ったものでした。
しかし、
筆者のような考え方にも一理はあるものの、それが「一つの考え方」に過ぎない。
こちらは相手が親しい友人なのか、また交渉のなかで信頼できる態度を取っているかを重視するのに対して、多くの相手は親近感などどこ吹く風で中身や条件の話をぐいぐい押してくる。欧米やインドから来ているMBA学生の多くと比較して、自分が周りと差があるのは小手先のテクニックだけでなく、交渉に対する理解(交渉ってそもそも何なのか、交渉が〝うまい〟ってどんな意味なのか)そのものであると思い至りました。
交渉は特別なことではなく、日常の一部。
「交渉」は日常の生活に存在している。
たとえば、
・日々の業務で社内の誰かに何かを頼み、忙しいなか何とか作業してもらえるよう説得する
・週末のデートの行き先をどこにしようか
・正月やGWで長い休暇にでもなれば、家族旅行の行き先をどこにしようか
交渉とは、
・「望みを実現するために相手に働きかけ、互いが合意できる着地点を見つける」ためのコミュニケーション。
・交渉は「合意形成のコミュニケーション」ということ。
・交渉とは戦いではなく「人間関係を円滑にする技術」
・交渉というものは必ずしも「自分の利益を狙う利己的な戦闘行為」というだけでなく、「互いの利害を調整し人間関係を円滑にする技術」という側がある
営業の例でいえば、売り上げ(望み)を実現するために価格・納期など売った場合の条件(合意できる着地点)を探り合うわけですし、家族旅行の例でいえば、思い描いた夢の旅行内容(望み)を実現するために旅行先・滞在するホテルなど行く場合の諸条件(合意できる着地点)を話し合う
彼ら海外のMBA学生も、「家族や友人の間なら人間関係が大きく話し合い(交渉)に影響してくる」ことには当然同意します。筆者が「家族・友人との話し合い」と「交渉」とを完全に別モノと考えていたのに対して、交渉の上手な連中はそれらを連続的なものだと捉えていた。言い換えれば、どんな話し合いにも相手との人間関係(情)と交渉している内容(理屈)が影響するが、家族など親しい人との対話では情の方が大きく作用する(交渉内容も関係するが、影響は弱い)。一方で関係の薄い相手との話し合いでは、情よりも交渉内容が重要になる(ただし人間関係も多少は関係する)。そのような共通理解があったのです。
一方こちらはそもそも関係重視の話し合いが文化的に染み付いており、「交渉」は何か特別なものでよく分からないと身構えていたため、得意な関係重視型の手法に必死にしがみついていた
普段から情も理屈もどちらも上手に使えるよう準備しておくことができるし、また状況に応じて必要な方を取り出して使い分けることも可能なわけです。交渉をすること自体は特別なことではない。
親しい人に何か頼む会話にだって、人間関係が影響する度合いは違えど、交渉としての要素そのものはすべて揃っている。私たちは誰でも毎日何度もあれこれ「交渉」を繰り返している。交渉というものは必ずしも「自分の利益を狙う利己的な戦闘行為」というだけでなく、「互いの利害を調整し人間関係を円滑にする技術」という側面もある。
【「交渉とは何か」という問いに対する前提】
1. 「交渉」はどこにでもある
友人や家族であれ、その相手に何かを望む際に発生する話し合いでは、「交渉」で作用する諸々の要素が、程度の差はあれ関係してきます。したがって、交渉論を深く知ることは周囲の人との関わり合い方を考えるヒントになります。
2. 何でも「交渉」の対象になる
交渉が日常のどこにでもあるということは、言い換えればとりあえず何でも交渉してみることができるということです(ある講師は、極論を言えば恋愛も交渉だと言っていました)。もちろんTPOに応じてものの言い方は考える必要がありますが、「何事もあきらめずまず周囲を説得しよう」という姿勢は優れた交渉人の基本のようです。