すくなくとも
見える化の対象は「スキル」じゃない。
スキルを和訳すると、技能。
技能を英訳すると、スキル。
だから、
「技能を科学するために、見える化すべきは何か?」という問いの答えがスキルというのは、まったく意味がわからない。
ラグビー平尾氏の主張は、
「わかる」と「できる」は別物で
技能は「わかる」に相当すると思われます。
鍵は、
カン・コツにあるとしか思えない。
合理的判断によらず状況を捉え、
即座に条件を設定し、
条件に見合う手順を繰り出す。
熟練は、これが暗黙知になってる可能性大。
これを見える化しないことには、
試合に勝てない。
つまり、成果に結びつく行動にならない。
-------
「技能の見える化」
という言い方も最近よく目にするのですが、
そもそもこの言い方がいいのかどうか正直わからなくなってまして
あの分野でいうところの「技能」と
この分野でいうところの「技能」が
一致してないような気がし始めてます。
それはまるで
「品質」や「ブランド」と同じ状況にあるようにも感じられます。
たぶん、
スキルという言葉が
不自然に意味を広げたことが原因なんじゃないのかな。[技能=スキル]なら、今日のスキルが資格も含んだらそらおかしなことになります。資格には技能検定もあるわけだから一概になんともいえないですけど、大勢としては、資格は知識を有することを証明する場合のほうが多い。それは、さきの平尾氏の見解に即して言うと、「わかる」というより、「知る」に近い。
技能を左辺に置くのなら、
右辺は、「(技術という名の)方法」と「カン・コツ」。つまり、技能という名の「方法を活かす腕前」は、方法とカンコツの関数で表される。
あるいは、
「成果を出す行動」を左辺に置く立場の人々は
右辺に「(基本動作という意味での)技能」と「コンピテンシー」を置きそう。つまり、基本動作にその本人の行動特性を適応してはじめて、成果を出す行動が現れる。
立場の違いであって、
言わんとしていることに
本質的な差異はないような気がするんですけど、どうなんですかね?
コンピテンシー=カンコツ
は、これまた違うと思いますが、
そもそもコンピテンシー概念って
どうなんだろう??
意味はわかる。
が、例示をみると
えー??そんなんでいいの?
という項目が並んでるケースばっかり。
それって、
「心がけ」「意識づけ」と言えばいいんじゃないの?と思わずにいられないものがめっちゃ多い。
だったら
「その場に応じて知識を使いこなす暗黙知としてのカンコツ」と言った方が、すくなくとも私にはしっくりきます。
前者の立場から見ると
技能の見える化とは、知識を活かすカンコツの見える化。
後者の立場から見ると
成果を出す行動の見える化とは、基本動作としての技能を活かすカンコツの見える化。
つまり、
どちらの立場だろうと
見える化すべきは、カンコツの見える化!
まずは
こういうアプローチで
この分野に挑んでみたいと思います。
-------
【追記】
さきほどの二つの立場をガッチャンコすると、
左辺に高度技能、
右辺に基本技能とカンコツ
を置くのはどうでしょう。
高度技能 = f (基本技能、カンコツ)
意外とこれいいんじゃない?
-------
【さらに追記】
いやダメだ。
それじゃアカン。
式のなかに
「技術」という単語を使いたいから
技能を高度技能と基本技能に分けてる場合じゃない。
やはり
技能を左辺に、
技術を右辺に組み込みたいです。
見える化の対象は「スキル」じゃない。
スキルを和訳すると、技能。
技能を英訳すると、スキル。
だから、
「技能を科学するために、見える化すべきは何か?」という問いの答えがスキルというのは、まったく意味がわからない。
ラグビー平尾氏の主張は、
「わかる」と「できる」は別物で
技能は「わかる」に相当すると思われます。
鍵は、
カン・コツにあるとしか思えない。
合理的判断によらず状況を捉え、
即座に条件を設定し、
条件に見合う手順を繰り出す。
熟練は、これが暗黙知になってる可能性大。
これを見える化しないことには、
試合に勝てない。
つまり、成果に結びつく行動にならない。
-------
「技能の見える化」
という言い方も最近よく目にするのですが、
そもそもこの言い方がいいのかどうか正直わからなくなってまして
あの分野でいうところの「技能」と
この分野でいうところの「技能」が
一致してないような気がし始めてます。
それはまるで
「品質」や「ブランド」と同じ状況にあるようにも感じられます。
たぶん、
スキルという言葉が
不自然に意味を広げたことが原因なんじゃないのかな。[技能=スキル]なら、今日のスキルが資格も含んだらそらおかしなことになります。資格には技能検定もあるわけだから一概になんともいえないですけど、大勢としては、資格は知識を有することを証明する場合のほうが多い。それは、さきの平尾氏の見解に即して言うと、「わかる」というより、「知る」に近い。
技能を左辺に置くのなら、
右辺は、「(技術という名の)方法」と「カン・コツ」。つまり、技能という名の「方法を活かす腕前」は、方法とカンコツの関数で表される。
あるいは、
「成果を出す行動」を左辺に置く立場の人々は
右辺に「(基本動作という意味での)技能」と「コンピテンシー」を置きそう。つまり、基本動作にその本人の行動特性を適応してはじめて、成果を出す行動が現れる。
立場の違いであって、
言わんとしていることに
本質的な差異はないような気がするんですけど、どうなんですかね?
コンピテンシー=カンコツ
は、これまた違うと思いますが、
そもそもコンピテンシー概念って
どうなんだろう??
意味はわかる。
が、例示をみると
えー??そんなんでいいの?
という項目が並んでるケースばっかり。
それって、
「心がけ」「意識づけ」と言えばいいんじゃないの?と思わずにいられないものがめっちゃ多い。
だったら
「その場に応じて知識を使いこなす暗黙知としてのカンコツ」と言った方が、すくなくとも私にはしっくりきます。
前者の立場から見ると
技能の見える化とは、知識を活かすカンコツの見える化。
後者の立場から見ると
成果を出す行動の見える化とは、基本動作としての技能を活かすカンコツの見える化。
つまり、
どちらの立場だろうと
見える化すべきは、カンコツの見える化!
まずは
こういうアプローチで
この分野に挑んでみたいと思います。
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【追記】
さきほどの二つの立場をガッチャンコすると、
左辺に高度技能、
右辺に基本技能とカンコツ
を置くのはどうでしょう。
高度技能 = f (基本技能、カンコツ)
意外とこれいいんじゃない?
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【さらに追記】
いやダメだ。
それじゃアカン。
式のなかに
「技術」という単語を使いたいから
技能を高度技能と基本技能に分けてる場合じゃない。
やはり
技能を左辺に、
技術を右辺に組み込みたいです。