これは本当に難しい。
私自身、発展途上です。
正直、この力の高め方もよくわからないです。わからないですけど、わからないなりきに大事にしていることは、
事態が空転した場合に備えて、最低限の落とし所を具体的にイメージしておくこと。これができていれば、
1) 発話を拾う際の拠り所になる。
なんでもかんでも拾えばいいってもんじゃない。それをすれば、メモはゴミ箱同然。拾う際の拠り所があることは、ゴミ箱を回避することに役立つ。
2) イメージを補強するという観点から発話を促すことができる。
一口に「問いかける」と言っても、何をどう問いかければいいかわからないのは当然。最低限の落とし所があれば、それを補強するという観点から問いかけることができる。
しかし、
上記2つは、同時に困ったことが起きる。
1) については
なまじイメージがあると、イメージに合わない発話を拾い損ねる。認知的不協和を起こすリスクがある。
2) については
アジテーション。そんなことでは、答えがはじめからあるのと同じ。
これら不具合を避けるためには、イメージはあくまで「最低限の落とし所イメージ」であり、実際はそれとは別の着地をすることを歓迎する姿勢を持つこと。管理点は、議論中に生まれる「落とし所の可能性がある個数」なのかな。
最大の難関は、
どうすれば議論中に落としどころ可能性を見い出せるか?です。
これがどうにもよくわからない。
私自身、発展途上です。
正直、この力の高め方もよくわからないです。わからないですけど、わからないなりきに大事にしていることは、
事態が空転した場合に備えて、最低限の落とし所を具体的にイメージしておくこと。これができていれば、
1) 発話を拾う際の拠り所になる。
なんでもかんでも拾えばいいってもんじゃない。それをすれば、メモはゴミ箱同然。拾う際の拠り所があることは、ゴミ箱を回避することに役立つ。
2) イメージを補強するという観点から発話を促すことができる。
一口に「問いかける」と言っても、何をどう問いかければいいかわからないのは当然。最低限の落とし所があれば、それを補強するという観点から問いかけることができる。
しかし、
上記2つは、同時に困ったことが起きる。
1) については
なまじイメージがあると、イメージに合わない発話を拾い損ねる。認知的不協和を起こすリスクがある。
2) については
アジテーション。そんなことでは、答えがはじめからあるのと同じ。
これら不具合を避けるためには、イメージはあくまで「最低限の落とし所イメージ」であり、実際はそれとは別の着地をすることを歓迎する姿勢を持つこと。管理点は、議論中に生まれる「落とし所の可能性がある個数」なのかな。
最大の難関は、
どうすれば議論中に落としどころ可能性を見い出せるか?です。
これがどうにもよくわからない。