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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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男は黙ってサッポロビール、第二夜。

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本文を書けず
申し訳ありません。

一日も早く元気になってくれることをお祈りしています

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ニュースを確認することができずにいます。

若月は昨晩眠れたのだろうか。
今晩いまは眠れているのだろうか。

心配で心配で
昨晩も今晩もあまり眠れてません。
昨晩は4時すぎまで眠れず、
今晩もまた4時を過ぎました。

唐川投手はきっと心を痛めていると思います。若月が一日も早く元気になってくれて、二人ともまた溌剌としたプレーを見せてください。

待ってます。

プローブくん、無事帰還\(^o^)/

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修理工場に入ったのは今年1月。
新しいバッテリーに交換するだけだから、すぐに帰ってくると思っていたら、ラジエータの内部破損。ライトの照度不足など次から次へとガタが発覚し、なんと半年間も入院。

今日、無事に退院し、戻ってきてくれました。

「次の車検までは大丈夫でしょう」とのこと。思い出いっぱい作りたいと思います。

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あっ!申込受付が始まった!

【メモ】交渉とは

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「交渉」という言葉には「少しでも自分の取り分を多くしようと巧言を弄し、相手を脅し、なだめすかす」ようなイメージ。感覚的にいって、家族や恋人同士でも「交渉」するというのはおかしい。交渉は人間関係が浅い者同士がするものであって、ある程度関係ができてしまえばあとは信用や思いやりで話が決まっていくものではないか。だいいち、例えば何でも「交渉」してくる友人など、とても耐えられないではないか。そんな風に思ったものでした

しかし、
筆者のような考え方にも一理はあるものの、それが「一つの考え方」に過ぎない。

こちらは相手が親しい友人なのか、また交渉のなかで信頼できる態度を取っているかを重視するのに対して、多くの相手は親近感などどこ吹く風で中身や条件の話をぐいぐい押してくる。欧米やインドから来ているA学生の多くと比較して、自分が周りと差があるのは小手先のテクニックだけでなく、交渉に対する理解(交渉ってそもそも何なのか、交渉が〝うまい〟ってどんな意味なのか)そのものであると思い至りました

交渉は特別なことではなく、日常の一部。
「交渉」は日常の生活に存在している。
たとえば、
日々の業務で社内の誰かに何かを頼み、忙しいなか何とか作業してもらえるよう説得する
週末のデートの行き先をどこにしようか
正月やGWで長い休暇にでもなれば、家族旅行の行き先をどこにしようか


交渉とは、
「望みを実現するために相手に働きかけ、互いが合意できる着地点を見つける」ためのコミュニケーション。
交渉は「合意形成のコミュニケーション」ということ。
交渉とは戦いではなく「人間関係を円滑にする技術
交渉というものは必ずしも「自分の利益を狙う利己的な戦闘行為」というだけでなく「互いの利害を調整し人間関係を円滑にする技術」という側がある

営業の例でいえば、売り上げ(望み)を実現するために価格・納期など売った場合の条件(合意できる着地点)を探り合うわけですし、家族旅行の例でいえば、思い描いた夢の旅行内容(望み)を実現するために旅行先・滞在するホテルなど行く場合の諸条件(合意できる着地点)を話し合う

彼ら海外のA学生も「家族や友人の間なら人間関係が大きく話し合い(交渉)に影響してくる」ことには当然同意します。筆者が「家族・友人との話し合い」と「交渉」とを完全に別モノと考えていたのに対して、交渉の上手な連中はそれらを連続的なものだと捉えていた。言い換えれば、どんな話し合いにも相手との人間関係(情)と交渉している内容(理屈)が影響するが、家族など親しい人との対話では情の方が大きく作用する(交渉内容も関係するが、影響は弱い。一方で関係の薄い相手との話し合いでは、情よりも交渉内容が重要になる(ただし人間関係も多少は関係する。そのような共通理解があったのです

一方こちらはそもそも関係重視の話し合いが文化的に染み付いており「交渉」は何か特別なものでよく分からないと身構えていたため、得意な関係重視型の手法に必死にしがみついていた

普段から情も理屈もどちらも上手に使えるよう準備しておくことができるし、また状況に応じて必要な方を取り出して使い分けることも可能なわけです。交渉をすること自体は特別なことではない。

親しい人に何か頼む会話にだって、人間関係が影響する度合いは違えど、交渉としての要素そのものはすべて揃っている。私たちは誰でも毎日何度もあれこれ「交渉」を繰り返している。交渉というものは必ずしも「自分の利益を狙う利己的な戦闘行為」というだけでなく「互いの利害を調整し人間関係を円滑にする技術」という側面もある。

【「交渉とは何か」という問いに対する前提】
1. 「交渉」はどこにでもある
友人や家族であれ、その相手に何かを望む際に発生する話し合いでは「交渉」で作用する諸々の要素が、程度の差はあれ関係してきます。したがって、交渉論を深く知ることは周囲の人との関わり合い方を考えるヒントになります

2. 何でも「交渉」の対象になる
交渉が日常のどこにでもあるということは、言い換えればとりあえず何でも交渉してみることができるということです(ある講師は、極論を言えば恋愛も交渉だと言っていました。もちろんOに応じてものの言い方は考える必要がありますが「何事もあきらめずまず周囲を説得しよう」という姿勢は優れた交渉人の基本のようです

交渉をまとめる鍵は、Interestの取捨選択ではなく、方向性が異なる複数のInterestの組合せ。という発想はどうかな?

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交渉論では、Interest(利害関心)をあらかじめ準備しておくことが重要とされる。Interestとは、その交渉で達成したいことを箇条書きに列挙したもの。

一方、interestと似て非なる概念としてPositionがある。Interestが頭の中にある、ある程度漠然とした目標であるのに対し、Positionはそれを具体化して相手に要求した内容(発言内容)をいう。Positionは、Interestから発生しているので、両者は似通っているが、交渉では両者を区別して考えることが極めて重要と言われている。

【事例】

このケースにおいてA氏にとって最も重要なInterestは、「できるだけ安い値段で買いたい」である。しかし、「来年発売の新製品に備え、良好な関係を保ちたい」、「不良が発生した場合の対応をきちんとしてほしい」など複数のInterestが同時に存在する。

【事例の続き】

A氏とB氏は、それぞれ異なる「1個X円」という価格を設定しており、平行線。この原因は、1個X円というPosition(具体的提案)に双方が固執しているから。突破口は、Positionではなく、双方のInterest(願望)に着目すること。これにより、お互いにとってうまみのある合意しやすいアイディアが生まれる。

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このあと、著者は、膠着した Interest以外の他のInterest(「できるだけ多くの数量を受注したい」、「納期にできるだけ余裕をみてほしい」、「部品在庫は発注側で負担してほしい」など)に目を向けることの必要性を説いている。そして、あるInterestは相手に有利になるようにして、他のInterestを自分が有利になるよう、「Interestの交換」によって話し合いをまとめるテクニックを紹介している。Interestの交換のほかにも、「Interestの共有(共通利害の発見)」というテクニックもあるという。本ケースの場合、「新製品案件は、売り出す当方だけでなく、部品供給側の相手にとっても大型受注に繋がる」が相当する。
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また、自分のInterestが何なのかきちんと把握しておくことも重要。たとえば、話し合いのなかで急に納期の条件が出てきた時に、それに関する譲歩が自分のInterestにどう影響するかすぐに判断できる。さらに、相手のInterestが分れば、その中から自分のinterestに差し障りのない部分を譲歩した提案をすることで話をまとめることができる可能性が高まる。

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Interestは、いわば演繹推論のルールに相当するものであり、何らかの具体的なPositionを導くための価値基準といえそう。著者は、「交渉の際、演繹推論ルールを取捨選択せよ」と指南していると解釈することもできる。テクニックとしてそれはたしかにきっと有効なのでしょう。しかし、なんかそのテクニックは性に合わない。個人的には、ベクトルが異なる複数のInterestを組合せて、「○○を棄損しないように、××する」や、「○○を満たしつつ、××する」といった具合に“合成interest(あるいは統合interest)”というものに着目してみたいと思う。その最大の理由は、あるモノサシ上で際限ない値を目指すことになりかねないInterestでは交渉にならないから。たとえば、「できるだけ安く買いたい」というInterest(願望)がもたらすPosition(具体的提案)は、タダになるまで留まることがないわけです。際限がない。どこかでキャップする必要があります。しかし、「できるだけ安く買いたい」というInterestではキャップのしようがない。あるモノサシ上で、とる値にキャップをする(値がとりうる挙動範囲の上下限値を定める)ためには、際限ないInterestだけで話がまとまるわけはなく、ある種のトレードオフを設定しなければならない。それが、「ベクトルが異なる複数のInterestを組合せた合成interest(統合Interest)」に着目してみたい最大の理由です。
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BATNA(Best Alternative To A Negotiated Agreement)

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交渉において最大の武器は、
「もうあんたとは交渉しなくていいや」と言えること。

交渉も「惚れたほうが負け」であり、交渉の成否に依存する度合いが大きいほど、何とか交渉をまとめようとして卑屈な姿勢になる。

一方、「交渉がまとまろうが破談になろうがどうでもいい」という場合、人は強気な要求に出ることができる。話が通れば儲けもの。拒否されても大して困らないからである。

交渉において最大の武器は、
「交渉のほかに持っている代替案」。
他所できちんと自分の利益が確保される方法を持っていれば、交渉結果に依存せずに済む。

BTNAとは、
代替案のなかで自分にとって最善のもの。
もし交渉がまとまらなかった時に、代わりに取れる次善の策のこと。
Best Alternative To A Negotiated Agreementの略。


封印。

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現在、オリックスの話は封印中。

人を理解するのは難しい(T . T)

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先日のブログで書いたとおり
最近は、共感力を可能なかぎり発揮して物事に臨んでます。どの程度できているのかは怪しいので、「発揮しようとしています」としか言えないのですが(汗)。なんてったって、「講師は私の話を途中で何度もさえぎ、聞こうとしなかった」と書かれた張本人ですから。

いま取り組んでいる事案のうち、2件については、職員の言い分に耳に傾けているつもりでいたのですが、

この間から再読している「交渉論」から見ると、「相手の話を聞いてはいるが、その人間のInterest(願望)をその話から読み取れているか?」というと、あまり読み取れていない。

あ、この2事案は、交渉ごとではありません。「交渉では、相手の言動や相手が置かれた状況から、仮説としてのInterestをたくさん引っ張り出すことが重要!」という箇所を思い出してそう思った次第です。

人を理解するためには、
その人の話を聞く必要がもちろんあるけど、

だからといって
単に話をふむふむと聞いているだけでは、その人を理解することにはならない。ということをあらためて感じました。

いまなぜサービス・デザインか?

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サービス・デザインとは、
「顧客が求めていることをきちんと提供していればそこに価値が生まれる」
という素朴な原理を、素直に実現しようとする概念。

サービス・デザインとは、
ビジネスを顧客の視点から体系的に編成する取組み。

その目的は、企業と顧客のインタラクションのあらゆる局面において、快適なカスタマ・エクスペリエンス(顧客経験価値、製品やサービスを購入したり使用したりする経験によって得られる感覚的・感情的な付加価値)を提供することにある。

サービス・デザインが重視する「顧客が求めていることをきちんと提供していればそこに価値が生まれる」という原理は、ビジネスを行おうとする人であればすべからく持っている原理であり、新しいものではない。

では、どうしていまサービスデザインが注目されているのか?

さまざまな制約によって
上記の素朴な考え方でビジネスを実現することが難しくなっていることによる。
その結果、顧客価値は顧客価値で理解しつつも、実際のビジネスでは「製品をたくさん売る」といったダブルスタンダードがまかり通っている。その前提によって事業モデルが定義づけられ、事業部などの組織が構成され、企業の成長目標や評価指標が定義づけられてきた。

しかし、
ネットの普及や他のテクノロジーの発達によって、より素朴に個別の顧客の要望に応えることが可能となり、実際、それをスピーディに体現してきたスタートアップが数年で業界を席巻してしまう状況が生まれている。こういった流れが、サービス・デザインというムーブメントの原動力になっている。

サービス・デザインの視点に立ち、具体的にこれまでの商慣習や、社内の部門、あるいは事業指標などを見直していく、という所まで着手できている人は少ない。サービス・デザインの遂行に求められていることは、実は個々の手法ではなく、ビジネスのやり方を根本から見直す「発想の転換」「リ・フレーミング」なのである。

サービス・デザインの思考法で顧客視点の体験を紡いでいくと、既存の業界をまたいだ施策や、これまでの組織構造を超えたアプローチなどが求められる状況に直面するだろう。ノキアのケースは、組織でのサービス・デザイン指向の実現の難しさを解き明かしてくれる。

サービス・デザインは、環境づくり。

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良質なカスタマ・エクスペリエンスの提供は、かつてから望ましいとされていた。

しかし、かつてはそれが競争優位を獲得する唯一の方法ではなかった。当時は、マーケティング力で他社を凌ぐことができたし、製品の良さや、市場参入障壁の高さで差をつけることもできた。

いまや、製品間の品質差は小さい。
多くの製品が同程度の品質で同じように機能する。

事態を決定づけるのは、その製品が何を実現するかではなく、どのように実現するかである。「何を(what)」が衛生要因(それが欠けると不満につながるが、あっても満足度は高まらない要因)となった今、顧客に差し出すことができる価値は「どのように(how)」の部分なのである。競争優位をもたらすのは「企業がどのように製品やサービスを提供するか」である。【意見あり2】

スポーツ・ジムを例に考えてみよう。
「安全にウエイトリフティングができる事務を設計する」という方針は、製品主導主義のやり方。そのようなジムはおそらく、必要な設備は何か}」という観点から設計され、最高機種のマシンが並べられ、結果として、強い慣れた顧客にとって申し分のないジムとなる。

しかし、顧客が製品やサービスに対して感じる総合的な価値を決めるのは、ジムのオーナーの視点ではなく、顧客の視点である。多くの顧客にとって、マシンは過酷な試練を貸す装置にしか見えない。「何(what)」よりも、「どのように(how)」が重要になるのである。

ジムを顧客の視点から設計すれば、ジムという「環境」の作り方が変わるはずである。マシンやウエイトの選び方も、各エリアの配置設計も変わるだろう。この視点の変化がもたらす効果は大きい。

競争優位を獲得する鍵は、製品やサービスをどのように提供し、どのような経験を味わってもらう、どうデザインするか、なのである。

デザイン・プロセスは、デザインするべき対象がサービスであっても製品であっても、サービス・デザインと呼ばれる。デザインは、外観を美しく整えるだけの仕事ではない。デザインとは、何かに「形を与える」ことを意味する。無形のアイデアを有形化し、人々が経験できる事物として形作ること。デザインは問題解決の一つの手法であり、そこでは以下の4つの主要な課題に取り組むことが求められる。

1)理解のしやすさ
2)使いやすさ
3)個別性
4)外観の美しさ

デザインとは、一つの反復プロセスであり、実行、評価、改善のサイクルを何回も繰り返さなければ完成に至らない。

サービス・デザインでは、カスタマ・エクスペリエンスを向上させる方法を扱う。顧客が何かを購入するかどうかを検討しはじめた瞬間からスタートし、その購入品のライフ・サイクルが終了するまでの、サービス全体をデザインする方法である。インタラクションのあらゆるポイントを改善すれば、顧客満足度は高くなる。【意見あり3】

出典: サービス・デザイン入門、ビー・エヌ・エヌ新社

カスタマ・エクスペリエンスという言葉を丁寧に扱いたい

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[原文]
サービス・デザインの目的は、企業と顧客のインタラクションのあらゆる局面において、快適なカスタマ・エクスペリエンス(顧客経験価値、製品やサービスを購入したり使用したりする経験によって得られる感覚的・感情的な付加価値)を提供することにある。

↓↓↓

「カスタマ・エクスペリエンス(顧客経験価値、製品やサービスを購入したり使用したりする経験によって得られる感覚的・感情的な付加価値)」という箇所が異常に気になります。

カスタマ・エクスペリエンスという言葉は大事な言葉だと思うので、もうすこし丁寧に扱った方がいいと思うのです。「ブランド」という言葉が乱用されて、マジックワードとして消えた苦い経験を繰り返したくない。

「カスタマ・エクスペリエンス(顧客経験価値)」 と 「製品やサービスを購入したり使用したりする経験によって得られる感覚的・感情的な付加価値」 は同じなのでしょうか?並記されるものなのかな?

「製品やサービスを購入したり使用したりする経験によって得られる感覚的・感情的な付加価値」 という言い方は、瞬間的な一次感情に過ぎないと思うのです。

今日、重要なのは、文脈価値(顧客と企業が一連のやり取りの結果として生まれる価値)なのに、瞬間的な一次感情だけをもってカスタマ・エクスペリエンスというのは、非常に大きな違和感を覚えます。かつては、「カスタマ・エクスペリエンス(顧客経験価値)」 = 「製品やサービスを購入したり使用したりする経験によって得られる感覚的・感情的な付加価値」 だったと思う。Shumittの経験価値が注目された2000年のことであり、17年も前の話です。

丁寧に扱わないと、
「サービス・デザイン」 と 「UX」 が混同されてしまうのではないでしょうか。
実際、いま取り組んでいる企業案件では、明らかに混同されているフシがありますし。

「カスタマ・エクスペリエンス(サービスの提供側と利用側が一連のやりとり(文脈)を通じて生まれる価値。文脈価値)」と言いたいです。

定めるべきは、「当事業は、どのような価値(what)を、どのように実現するか(how)」

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[原文]
事態を決定づけるのは、その製品が何を実現するかではなく、どのように実現するかである。「何を(what)」が衛生要因(それが欠けると不満につながるが、あっても満足度は高まらない要因)となった今、顧客に差し出すことができる価値は「どのように(how)」の部分なのである。競争優位をもたらすのは「企業がどのように製品やサービスを提供するか」である。

↓↓↓

「どのように(how)」も重要なのはわかります。
しかし、「何を(what)」を衛生要因とみなすことに激しい違和感を覚えます。

この著者には、暗黙的な前提がありますよね?

「特定1製品(あるいはサービス)で勝つために」
という暗黙的な前提があるとしか思えない。

「何を(what)」の主語は何でしょう?

おそらく、主語は
「いま着目している製品(あるいはサービス)が」
ですよね?違いますか?

それならわかります。
特定一つのハードあるいはソフトが実現できる「何を(what)」は
かつての時代と比較して、明らかに差異が小さくなっていると思う。

しかし、
その前提にこだわる理由が私にはわからない。

だから私は、
「特定1製品(あるいはサービス)が」 ではなく
「複数の製品・サービスを束ねた事業全体が」 にしているわけであり

これを実践するために
「当事業は顧客のどのような文脈価値の実現にコミットするか?」
というwhatの再定義に力を入れています。

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今年4月、
ある企業のデザイナーから
「加藤さんの考え方は、サービス・デザインですよね?」
と言われたことがあります。

このとき、即答できず、悶々としていました。
同じかな?? そうか??
と。

いまなら、次のように答えます。

「実現する価値を定める際の、主語が違う。
特定の1ハード(あるいはソフト)で勝負することをまったく前提にしていない。

重要なのは、howだけじゃない。
以前として、whatも重要。

定めるべきは、
「当事業は、どのような価値を、どのように実現することにコミットするか?」
という問いの答え。」

描くべき全体範囲は、「出会ってからの1製品の一生」に留まらないはず。

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[原文]
サービス・デザインでは、カスタマ・エクスペリエンスを向上させる方法を扱う。顧客が何かを購入するかどうかを検討しはじめた瞬間からスタートし、その購入品のライフ・サイクルが終了するまでの、サービス全体をデザインする方法である。インタラクションのあらゆるポイントを改善すれば、顧客満足度は高くなる。【意見あり3】

↓↓↓

ここまでのところで2つの違和感を書きましたが
さらにもう一つ。これがトドメに近いかもしれません。

サービス・デザインとは「ビジネスを顧客の視点から体系的に編成する取組み」のはずなのに、なんでサービス全体範囲が「購入品のライフ・サイクルが終了するまで」になるのよ。。たしかにそのプロセスは描くことになるでしょうけど、それはあくまで含まれるべきサブプロセスであり、全体範囲ではないですよね?

著者のこのような範囲設定は、
さきほどの投稿で書いた「特定1製品(あるいはサービス)で勝つ」という暗黙的前提が招いてますよね?違いますでしょうか?

描くべき範囲の全体は、
顧客にコミットした「どのような文脈価値を、どのように実現するか」に関するプロセス全体であり、プロセス全体に関わる1製品(1サービス)の一生ではない。

サービス・デザインの現状は
「言葉の揺らぎが多い」という印象を否めません。
この曖昧さが、「タッチポイントマネジメント」にしか見えない事例紹介に繋がっているということはないですか?

概念は素晴らしいし
目指すことにも共感しているだけに
もうすこし術語を丁寧に扱って、一大分野として育てていってほしいと思います。

「行動」への着目

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サービス・デザインにおいて、ルールは一つしかない。
ユーザー中心の原則に従いつつ、顧客、サービスの提供者、その他のステークホルダーといった、案件に関わるすべての人々の協力を得ること。

サービス・デザインの鍵は、顧客の観点から世界を見渡すこと。行き着く先は、彼ら顧客の行動を変えることではなく、あなたの企業の行動を変えること。

問題を特定し解決するプロセスは、
現実の状況の中で人々が実際に取る行動を基盤にしなければならない。
どう反応するかを想像するだけ、あるいは理想を思い描くだけの方法は、基盤にはならない。

あなたが顧客について知っていることは何か?
多くの企業は、製品やサービスに対する顧客の意見や感想を知っている。

ただし、サービス・デザインの専門家にとって、最も収集するに値する情報は、人々が何を購入し、それによって何をするかである。つまり、「製品やサービスを通して、彼らが要求をどのように満たすか」に着目する。そこには、購買行動の背後にあるモチベーションが描き出されることになる。

---【以下、気付き】---

上記の中で
「問題を特定し解決するプロセスは、現実の状況の中で人々が実際に取る行動を基盤にしなければならない」という箇所によって、一つの気づきがもたらされる。

品質保証体系は、「ある目的を実現するための一連の行動」に着目したものといえる。SP(事業の戦略的ポジショニング)とは、「当事業は、何に関する顧客の品質保証体系に着目すべきか?」という問いの答えといえるのではかろうか。


カスタマ・ジャーニー

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カスタマ・エクスペリエンスを向上させるための第一歩は、
そのエクスペリエンスを経験(エクスペリエンス)すること。

あなたの顧客がどのような状況を潜り抜けていくかを理解するためには、あなた自身が彼らの目で世の中を見なければならない。

個々の製品やサービスごとに、顧客が経験する旅(カスタマ・ジャーニー)は異なる。

飛行機のパイロットは、空港や飛行機を熟知している。しかし、乗客が味わう典型的なフラストレーションを経験したことがないかもしれない。たとえば、チェックインでの長い待ち行列、セキュリティ検査、狭苦しい座席、美味しくない機内食などである。そうだとすれば、機内サービスの向上についてパイロットが助言しても、おそらくそれは役立たない。

【映画館の例】

映画を観るというエクスペリエンス全体を向上させることと、よい映画を制作することは、ほとんど関係ない。多くの場合、顧客が問題を抱えたり困惑したりするのは映画以外の部分であるが、サービス・デザインはこういった問題の解決に貢献する。

ペルソナを用いたカスタマ・ジャーニー・マップを駆使すれば、サービスや製品のなかで、顧客にとって最も価値の高い要素が何であるかが見えてくる。また、顧客にとってあまり重要でない側面も見当がついてくる。仮想のカスタマ・ジャーニーをもとに、実際の顧客の助けを借りながら、何が有効か、修正あるいは排除すべき要素は何かを確認する。

手法は、対話法。アンケートではない。
同じ回答が繰り返し口に出されるようになるまで、実施する。同じ回答が得られたことが、真の回答に辿り着いたしるし。webサイトのユーザビリティ・テストでは、わずか5人のテストで問題の大半が明らかになったことが報告されている。




正念場

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今日、某プロジェクトの第3期が始まりました。

みんなと一緒に
いつまで冒険できるか。

ここから正念場です。

敵は味方のふりをする

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パートナーだと思っていたら、
こちらが知らぬ間にライバルと関係を結んでいた。

なるほど。。
たしかにそれはありえます。

「ビジネスエコシステムの形成」は、既存事業に新たな収益獲得の機会をもたらす可能性を秘めていますが、

一方で、
こちらより良い条件を提示してきた同業他社に座を奪われる恐れがある。

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組もうとしている相手が、味方なのか、あるいは、敵になりうるのか。それを見極める分析手法はないのか?

そう尋ねられて
しばし、ウッと詰まって沈黙してしまいました。

そういう分析手法、
私の分野では聞いたことがありません。
単に私が勉強不足の可能性はありますが、んーー、、いやあ、そうなのかなあ。ありますか??

今日は、頭の中がこのことでグルグル回りながら帰宅しました。

ご作法を身につけよう

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「事実・事象」と「原理・原則」の行き来。「理解を深める」とは、これら2つの間を何度も行き来することによって実現する。

学生時代に教えてもらった上記のことは、学生時代よりも、むしろ今のほうが物事や人々と向き合うときに役立っています。

まさに、
「物事や人々と向き合う際に適用すべき原理・原則」といえると思います。

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自分自身、
まだまだ磨かにゃならんのですが、その糸口を見出すためにも「他人のふり見て我がふり直せ」ということなのかな。これは自分にも当てはまっている危険性があると思われることを目の当たりにしました。

二者の会話で
A氏は、あるテーマについて、専門用語の用語の定義や意味などの「原理・原則」を話していた。しかし、聞いている側のB氏には、よく理解できない。B氏にとって、この専門用語は馴染みがなく、用語の意味や定義だけを言われてもを、「わかるような。わからないような」というモヤモヤ状態。

そこでB氏は、「たとえば、こういうケースがそれに該当するのか?」と訊いた(注1)

それに対するA氏側の返答は
「それは一部に過ぎない」だった。

さて、
ここで質問です。
このあと、A氏側が取るべき言動はなんでしょうか?

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上記のなかでB氏は、
A氏が提示した原理・原則に該当する事例を考えました。原理・原則をもとに、事実・事象を考えることを「演繹推論」といいます。

コミュニケーション効率を考えれば、
そもそもA氏側は

早く気づいてくれるといいのですが。。

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最大のネックは、
・ 自分はわかっている
・ 自分はできている
と、思い込んでいることなのではないだろうか?

人が成長する出発点は、
「自分は何をできて、何をできていないのか」
の両方を明確に自覚することだと思っています。

この点が本人の中ではっきりしていないのではないだろうか?

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