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Channel: ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記
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ライトな人は、やりたいことが特にない。仮にそうだとして、で、どうする?

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一口に「既存ユーザー」といっても、今後の関連購買意向が高いユーザー群と、低いユーザー群に分かれる。

以後、前者をロイヤルユーザー、後者をライトユーザーと呼ぶとして、両者の違いは何か?

その答えの一つとして、
ブランドプロポジションの「理想」欄の内容が違うことが挙げられます。

ライトユーザーは機能的価値と感情感覚的価値の評価に留まるのに対し、ロイヤルユーザーはそれらに加えて「長い時間をかけてこのブランドに関わることで自分自身に生じる変化」に関することに重きが置かれた評価になっていました。

ここで問題が起きます。それは、ライトユーザーがそのような機能的価値と感情感覚的価値の評価に留まるのは、彼らにやりたいことがないからではないか?一方、ロイヤルユーザーと呼ばれる人にはやりたいことがある。やりたいことがもともとある人が、そのブランドに出会った、だから、ロイヤルユーザーになったといえるのでないか?という指摘です。なるほど、たしかにそういうのもあるかもしれない。

だけど、その立場を取ってしまうと、もともとやりたいことを持って人しかロイヤルユーザーになれないことになってしまう。

重要なことは、ロイヤル顧客の創造。顧客を育てるという発想。

となると、
ライトユーザーにはやりたいことがないというのなら、製品あるいはサービスの使用を通じて、本人がやりたいことを育むことが重要になる。

だから、コト実現ストーリーが必要。着実に一歩一歩、実現するコトが進展していくことで、次第に自分がやりたいことが見えてくる。こうして、ライト顧客はロイヤル顧客へと変貌する。

ここで注意しなければならないことは、コト実現ストーリーの実践に多大な労力を要求することになると、いかんせんライトなだけに、途中で嫌になっちゃう。かもしれないということ。

ということで、ポイントは「しんどさなく、なんかやれそう」とコト実現ストーリーに対して感じられること。

にゃるほど。そういうことですか。

ーーー
と、書いているうちに、胸が苦しくなります。自分自身に思いっきり当てはまるフシがあるのです。

押し付けがましく「おい。おまえのために、ストーリーを作ってやったぞ」と言われても、そのストーリーがめっちゃ大変そうだと、そりゃしり込みしますよね。「あるステップまで来ると、自らすすんで次に行きたくなる。なんか自分でもできそうだと思える」・・・そんな感じがいいですよね。きっと。最終ステップ(最後に実現するコト)には相応の覚悟を要することがあっても、最初から覚悟を要するストーリーに誰が好き好んで乗っかるのか。公文式がいい。最初のうちは、楽にできる。次に進みたくなる。進むほどに少しずつ様子が変わっていって、いつしか本気でのめり込む。

いつのまにか本気になっていた。それが理想かな。ある程度の努力を要しないと、達成感は得られないと思う。そもそも達成感がいるのか?という指摘があるかもしれないけど、んー、、自己有能感を味わいたいというのは、人が元来持っている欲求なのではないかと思いたいのですが、はたしてどうなのかな。ただし、「ありとあらゆる事柄に自己有能感を」とはいかないですよね。だけど、自己有能感を見いだす事柄が増えていくという発想はアリだと思うんです。それはつまり、いままで低関与だったことが、なにかのきっかけで高関与になっていく。という感じ。もともと低関与な事柄が、次第に高関与になっていき、最後はいつのまにかのめり込んでいて本気になる。最後に実現したコトによって自己有能感を得る。そんなコト達成ストーリーに導いてみたい。サービス・ドミナント・ロジック的な様相を呈するのは、終盤コトでいい。低関与な事柄なのに初めのうちから知識スキルを要求するといとも簡単に挫折しかねない。私が昔むかしに経験したPhotoshop早々に断念がその象徴だったと思う。最初はクックドゥー、次第に本人なりの創意工夫が発動し、気がつけば本気。んー、いいなー。昨秋から私自身が興味を持ち出した「健康」の場合は、どんな感じのストーリーにすれば私自身がのめり込むんだろう。いまはまだ、「マナ酵素を朝に飲むようになりました」という私なのですが、これは金はかかるけど労力をほとんどまったく必要としていません。で、そんな私は次にどんなコトに向かいたくなるんだろうか?

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