[原文]
事態を決定づけるのは、その製品が何を実現するかではなく、どのように実現するかである。「何を(what)」が衛生要因(それが欠けると不満につながるが、あっても満足度は高まらない要因)となった今、顧客に差し出すことができる価値は「どのように(how)」の部分なのである。競争優位をもたらすのは「企業がどのように製品やサービスを提供するか」である。
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「どのように(how)」も重要なのはわかります。
しかし、「何を(what)」を衛生要因とみなすことに激しい違和感を覚えます。
この著者には、暗黙的な前提がありますよね?
「特定1製品(あるいはサービス)で勝つために」
という暗黙的な前提があるとしか思えない。
「何を(what)」の主語は何でしょう?
おそらく、主語は
「いま着目している製品(あるいはサービス)が」
ですよね?違いますか?
それならわかります。
特定一つのハードあるいはソフトが実現できる「何を(what)」は
かつての時代と比較して、明らかに差異が小さくなっていると思う。
しかし、
その前提にこだわる理由が私にはわからない。
だから私は、
「特定1製品(あるいはサービス)が」 ではなく
「複数の製品・サービスを束ねた事業全体が」 にしているわけであり
これを実践するために
「当事業は顧客のどのような文脈価値の実現にコミットするか?」
というwhatの再定義に力を入れています。
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今年4月、
ある企業のデザイナーから
「加藤さんの考え方は、サービス・デザインですよね?」
と言われたことがあります。
このとき、即答できず、悶々としていました。
同じかな?? そうか??
と。
いまなら、次のように答えます。
「実現する価値を定める際の、主語が違う。
特定の1ハード(あるいはソフト)で勝負することをまったく前提にしていない。
重要なのは、howだけじゃない。
以前として、whatも重要。
定めるべきは、
「当事業は、どのような価値を、どのように実現することにコミットするか?」
という問いの答え。」